秋風が吹き始め、職場で「あの季節」の足音が聞こえてきました。年末調整です。
最近はスマートフォンや社内Webシステムで提出する方が7割ほどに達していますが、紙で提出する方もまだ3割ほどいらっしゃいます。ただ、画面越しであれ手書きであれ、入力する「中身」そのものは変わりません。
今年、2026年(令和8年)の年末調整は、例年と様子がまったく異なります。歴史的な物価高を受けたインフレ対策と、矢継ぎ早に打ち出された子育て支援策によって、税金の計算ルールに大幅な見直しが入ったためです。これまでの「常識」がひっくり返ったと言っても過言ではありません。
「自分には関係ない」と思っていませんか?
実は、ちょっとした書き漏らしや勘違いで、数万円単位の手取りを取りこぼしてしまう落とし穴がそこかしこに潜んでいます。変更点を丁寧に解きほぐしていきましょう。
まず手元に揃える「呪文のような書類たち」
年末調整の書類といえば、難解な漢字が並ぶ長い書類名がおなじみです。税務署用語は少し近寄りがたいですが、要は「誰を養っていて、今年いくら経費(控除)を使えるか」を申告する手続きに過ぎません。今年提出する主な書類は次の通りです。
令和9年(来年)分の扶養控除等申告書(通称:マル扶):全員提出です。「来年1月からの給料から引く税金(源泉徴収)を正しく計算するために、前もって家族構成を教えてね」という予約票のような役割を果たします。
令和8年(今年)分のマル扶:今年の法改正によって「新しく扶養家族が増えた」という方だけ、修正のために再提出します。
基礎控除申告書 兼 配偶者控除等申告書 兼 所得金額調整控除申告書(通称:マル基・配・所):名前は長いですが、要するにあなた自身の基礎控除、配偶者の控除、一定の高年収世帯向けの控除をまとめて判定する一枚です。
保険料控除申告書(マル保)& 住宅借入金等特別控除申告書:生命保険や地震保険に入っている方、そして住宅ローン控除の2年目以降を迎える方が提出します。
まずはこれらがスタートラインです。
基礎控除と給与所得控除:「2つの底上げ」と178万円の壁
今回の目玉となるのが、働く人全員に関わる「控除の拡大」です。
そもそも給与から引かれる所得税は、年収にそのまま税率を掛けるわけではありません。会社員に必要なスーツ代や書籍代などの「みなし経費」として差し引かれる給与所得控除と、日本で暮らすほぼすべての人に等しく用意されている基礎控除という、いわば「2つの下駄」を履いたうえで残った金額に課税されます。
この下駄が、今年そろって高くなりました。
基礎控除:従来の最大95万円から104万円へ引き上げられました。物価高への配慮として、合計所得489万円以下(給与年収で約665万円以下)の方には2年間限定の特例加算(42万円分)が上乗せされているためです。(年収が上がると段階的に67万円、62万円と下がっていきます)
給与所得控除:最低保障額がこれまでの65万円から74万円へと底上げされました。
ニュースで耳にする「178万円まで所得税がかからない」という話は、まさにこの足し算です。
基礎控除104万円 + 給与所得控除74万円 = 178万円。
つまり、パートやアルバイトの給与年収が178万円以下であれば、本人の所得税はゼロになります。(※ただし、住民税がゼロになるラインは自治体によって112万〜119万円程度と異なりますのでご注意ください)
手取りが増える土台が整ったわけです。
扶養のルールが激変:パートナーや大学生の子どもはどうなる?
ご自身だけでなく、家族を養っている場合のルールも大きく塗り替えられました。家族を扶養に入れるための基準となる「合計所得要件」が、58万円以下から62万円以下へと緩和されたのです。給与収入だけで言えば、年収136万円以下が新たな境界線になります。
ここが一番混乱しやすいところですので、家族の立場ごとに整理してみましょう。
1. 配偶者(パートの配偶者など)
「103万円の壁」という言葉は、もはや過去の遺物です。
年収136万円以下であれば「配偶者控除」(38万円)が満額適用されます。さらにそれを超えても、「配偶者特別控除」というクッションが用意されており、年収169万円以下までであれば満額38万円の控除をキープできます。(※養う側の本人の所得が900万円以下の場合です。所得が1000万円を超えると控除はゼロになります)
2. 19歳〜22歳の子ども(主に大学生)
学費や生活費がかさむこの年代には、「特定扶養親族」として手厚い63万円の控除が用意されています。
今年からはアルバイト年収が136万円を超えてしまっても、年収159万円以下までは「特定親族特別控除」によって満額63万円の控除が残ります。超えてもすぐゼロにはならず、年収197万円まで段階的に減額されていく設計です。
ただし、ここに落とし穴があります。
税金上は159万円まで大丈夫でも、社会保険の扶養(健康保険など)は年収150万円未満が境界線になります。(一般の130万円から学生向けに引き上げられていますが、150万円を超えると自分で保険料を払う必要が出てきます)
「税金はクリアしたけれど、社会保険で手取りが減った」とならないよう、シフトの組み方には注意が必要です。
3. その他の家族と「扶養の復活」
高校生(16〜18歳):38万円控除のまま維持されました(縮小案もありましたが今年は見送られています)。
中学生以下(16歳未満):児童手当があるため所得控除はありません。
70歳以上の親:同居であれば58万円、別居なら48万円が控除されます。
ここで見落とせないのが、今年から扶養に復活する家族の存在です。
例えば、年収130万円ほど稼いでいて昨年は扶養から外れていた23歳以上のお子さん。今年から基準が136万円に上がったため、扶養(38万円控除)に戻ってきます。
あるいは、年金収入が170万円あって対象外だった70歳以上の同居の親御さん。年金生活者の壁が172万円に引き上げられたため、今年から再び58万円の扶養控除が使えます。
心当たりがある方は、今年の「マル扶」を会社に出し直してください。黙っていては会社も気づいてくれません。
記入時の勘違いを防ぐ:見落とし厳禁のチェックリスト
書類を書く段階で最もミスが多発するのが「見積額」の計算です。
対象期間は「1月〜12月の支給日ベース」
働いた月ではなく、口座に給料が振り込まれた日でカウントします。11月に提出する時点では12月支給分が確定していませんから、そこは見込み額で構いません。
手取りではなく「総支給額(額面)」を書く
社会保険料や税金が引かれる前の金額です。ただし、非課税の通勤手当は給与年収に含めなくて構いません。(※社会保険の130万・150万判定では通勤手当も合算されますので混同しないようにしてください)
年収から控除を引いた「所得」を正しく導く
年収220万円以下であれば、給与年収から給与所得控除74万円を引いた額が「所得金額」になります。(例:年収126万円なら、126万 - 74万 = 所得52万円)
その他、損をしないための重要ポイントを一気に確認しておきましょう。
所得金額調整控除(年収850万円超の方)
年収850万円を超えていて、23歳未満の扶養親族がいる場合、最大15万円の控除が受けられます。共働き夫婦なら、なんと夫婦双方で同じ子どもを対象にしてダブル適用が可能です。
20歳以上の子どもの国民年金を親が払った場合
全額が親の「社会保険料控除」になります。控除証明書を忘れずに添付しましょう。
生命保険料控除の「枠拡大」
23歳未満の扶養親族がいる場合、一般生命保険の控除上限が4万円から6万円へ引き上げられています。(※全体の合計上限12万円は据え置きです)
16歳未満の子どもの欄を絶対に空欄にしない
「税金控除がないから」と飛ばしてはいけません。来年から導入される「子ども・子育て支援金(就業者負担軽減)」において、16歳未満の子がいる世帯への加算判定にこの欄が使われます。年収に関わらず必ず記入してください。
医療費控除やふるさと納税(6自治体以上)
これらは年末調整では処理できません。年明けに確定申告を行ってください。
年収665万円付近に潜む「1円の崖」と手取り逆転
制度の狭間には、時として不可思議な現象が生まれます。今回特に注目されているのが、年収約665万円(合計所得489万円)のラインに潜む手取りの逆転現象です。
冒頭で触れたとおり、合計所得489万円以下の方には基礎控除に「42万円」の特例加算がついて計104万円になりますが、このラインを1円でも超えると加算額が「5万円」へ急降下し、基礎控除が67万円へと激減します。控除が実に37万円も吹き飛ぶ計算です。
独身・社会保険料100万円の方を例に試算してみると、その差は歴然です。
合計所得489万円ちょうど:基礎控除104万円 → 所得税 約19万1,000円
合計所得489万円を1円超過:基礎控除67万円 → 所得税 約22万9,000円
所得が1円増えただけで、所得税が約3万8,000円跳ね上がってしまいます。
会社員が残業代を細かくコントロールするのは現実的に至難の業ですし、多くの方は「運が悪かった」と受け止めるしかありません。副業の経費調整ができる方などを除けば、制度の歪みとして頭の片隅に留めておくべき歯がゆいポイントです。
2027年以降を見据えて:還付金と今後の税制
今年の12月は、毎月の給与から引かれていた源泉徴収税額に今回の改正が反映されていなかった分、年末調整でまとめて精算されます。そのため、例年よりも戻ってくる還付金が多めになる方が多いはずです。ひと足早いボーナスのように感じられるかもしれません。
ただし、来年(2027年)からは毎月の源泉徴収そのものが新基準に切り替わるため、毎月の手取りが少し増える代わりに、年末の還付金は落ち着いた金額に戻ります。
また、来年からは「防衛特別所得税」(所得税額の1%)がスタートしますが、同時に復興特別所得税が2.1%から1.1%へ引き下げられるため、合算した上乗せ割合(2.1%)自体は変わりません。看板の掛け替えに近い形です。ひとり親控除の控除額が来年から38万円へ増額される点や、基礎控除の特例加算が2年間の時限措置である点も含め、税制は絶え間なく動き続けています。
年末調整の書類作成は、一年間の働き方を振り返り、家族の生活を守るための大切な総決算です。少し面倒に思える作業ですが、変更点を正しく味方につけて、過不足のない手取りをしっかり手元に残しましょう。