​ゴールテープの先に待っていたのは、孤独な表彰台だった――会社を売却した起業家が「圧倒的な虚無」から抜け出すまで


会社を大きく育て、数十億円で売却して一生分のお金を一瞬で手に入れる――。

ビジネスの世界に飛び込む人なら、誰もが一度は夢見るゴールかもしれません。いわゆる「イグジット(事業売却による利益の確定)」です。

ところが、そのゲームを鮮やかにクリアした起業家たちが口を揃えて語るのは、歓喜や解放感ではありませんでした。待っていたのは、胸にぽっかりと穴が空くような「圧倒的な虚無感」です。

人生の半ばで目標や存在意義を見失ってしまうこの状態は、起業家たちの「ミドルエイジクライシス(中年の危機)」とも呼ばれています。喉から手が出るほど欲しかった富と自由を手に入れたはずなのに、なぜ彼らは暗闇に呑まれてしまうのでしょうか。

理由は大きく分けて3つあります。

まず1つ目は、「ゲームのルールが壊れてしまうこと」です。

経済学者のトマ・ピケティが示した「r > g」という有名な数式があります。ざっくり言えば、「株や不動産などの資産運用から得られる利益の伸び率(r)は、汗水たらして働いて得られる経済成長率(g)を上回る」という法則です。

事業を売却してまとまった資金を手にした瞬間、この現実が冷酷に突きつけられます。リスクを背負って新会社を立ち上げ、泥臭く働くよりも、税率の低い国で資産運用に回しておくほうが圧倒的に安全に、そして桁違いにお金が増えていくのです。
つまり、「お金を稼ぐために事業をする」という動機そのものが、経済合理性の面から完全に消滅してしまいます。

でも、それって本当に幸せな状態でしょうか?

ここで2つ目の理由、すなわち「強烈な孤独」が襲いかかります。

昨日まで同じ目標に向かって泥まみれで走っていた仲間や、頼りにしてくれる顧客とのつながりは、売却のハンコを押した瞬間にプツリと途切れます。手元に残ったのは、けたたましい金額の預金通帳と、使い道のない膨大な時間だけ。社会という大きな輪から、自分ひとりだけが放り出されてしまったような感覚に陥るのです。

そして3つ目が、「一発屋の影」です。

どれほど華々しくバイアウトしても、上を見ればキリがありません。さらに、売却した自分のサービスが大企業のなかで統廃合され、世の中から静かに姿を消していくことも珍しくありません。「自分は本当に実力があったのだろうか。たまたま時代の波を一度つかんだだけではないか」。そんな無力感が、成功者のプライドをじわじわと蝕んでいきます。

残されたのは、残高と沈黙だけ。人は何もしない自由を手に入れると、驚くほど簡単に精神を病んでしまいます。

だからこそ、彼らはもがき始めます。

ある人は、SNSやYouTubeに出て過激な発言を繰り返し、世間からの注目で心の空白を埋めようとします。またある人は、経済的には働く必要が1ミリもないのに、2社目、3社目の会社を慌てて立ち上げます。
なぜ、そこまでして再び茨の道へ戻るのか。答えは極めて切実です。

「事業でもやっていないと、頭がおかしくなりそうだから」

かつては「豊かになるため」に始めた事業が、今度は「うつ病を避けるための防衛策」へと役割を変えるわけです。まるで、ペダルを漕ぎ続けていないと倒れてしまう自転車のように、彼らは再び走り出します。

では、彼らはどうやってその暗闇から抜け出すのでしょうか。

鍵を握るのは、「私利私欲」から「他者への貢献」へのシフトです。

大金を手にした人の多くは、まず自分の欲を満たすことから始めます。高級車を買い、豪邸を建て、贅沢な食事や遊びに明け暮れる。しかし、物質的な消費による刺激には、恐ろしいほど早く限界が訪れます。ジャンクフードを胃袋の限界まで詰め込むようなもので、快楽はすぐに胸焼けへと変わってしまうのです。

欲望を最後まで使い果たした人が、最後にたどり着く場所。それが「他者の喜ぶ姿」です。

前澤友作氏やエイベックスの松浦勝人氏のように、巨万の富を築いた人たちが、最終的に人にお金を配ったり、若手を育てたり、周囲を楽しませることに熱中していく姿は印象的です。単なる売名やポーズに見えるかもしれませんが、当人たちにとっては、それこそが唯一心を温めてくれる本物の喜びなのだと思います。

人間は、自分のためだけに生きるにはあまりに脆い生き物です。箕輪厚介氏はこの現象について、「人間という種が今まで滅亡しなかった理由がそこにある」と語っていました。私利私欲を極めた人間が、最後には社会に富や価値を還元することでしか幸福を感じられなくなる――。まるでDNAに最初からそうプログラムされているかのようです。

もし今、あなたが何かの目標に向かって必死に走っているなら、少し立ち止まって考えてみてください。

私たちが本当に求めている幸せは、ゴールテープを切った先にある孤独な表彰台ではなく、誰かと肩を並べて汗を流している、まさに「その道中」に転がっているのかもしれません。