もし突然、目の前にいる家族が「私、タイムリープしたみたい」と言い出したら、あなたはどうしますか?
冗談だろうと笑って済ませられたら良いのですが、それが決して冗談ではないとしたら。今回は、クリエイターのヨコオ氏が実際に体験した、身近な人が突然「一過性全健忘(いっかせいぜんけんぼう)」という不思議な病気を発症した際のエピソードをご紹介しましょう。
幸いなことに、奥様はすでに完全に回復されています。その点には安心していただきつつ、少しだけ、その特異な状況を想像してみてください。
3分おきにリセットされる世界
一過性全健忘。なんだか物々しい響きですよね。
ごく簡単に言うと、脳の「短期記憶」の機能が一時的にシャットダウンしてしまう病気です。この病気には、大きく分けて二つの厄介な特徴があります。
一つ目は、発症した瞬間から過去1週間〜数ヶ月の記憶がすっぽりと抜け落ちてしまうこと。つまり、一時的な記憶喪失の状態です。
そして二つ目が、さらに強烈です。発症している数時間の間、新しい出来事を記憶し続けることができなくなるのです。
どういうことかというと、奥様は記憶が飛んでしまったため「いま、何年何月何日?」「私、なんでこの服を着ているの?」と尋ねてきます。ヨコオ氏がそれに答えても、たった3分後にはすべて忘れてしまい、またまったく同じ質問を繰り返すのです。
記憶を失ったこと自体を忘れてしまうため、抜け出せない無限ループに陥ってしまいます。まるで、数分おきに強制的にリセットボタンを押されるテレビゲームのような状態です。あるいは、記憶が10分しかもたない主人公を描いた映画『メメント』を思い浮かべていただくと、その恐ろしさが伝わるかもしれません。
パニックの中の「効率化」
大切な人がそんな状態になれば、普通はパニックになってしまいますよね。
しかし、ここでヨコオ氏は非常に合理的でユニークな行動に出ます。何度も同じ質問に口頭で答える代わりに、ノートパソコンの画面に大きくこう打ち込みました。
「あなたそういう病気にかかっています。今は2026年7月4日です」
そして、3分おきに記憶がリセットされてしまう奥様に、毎回その画面の文字を読ませたのです。切迫した状況下でありながら、この冷静な「状況の効率化」には驚かされます。
もちろん、並行して救急車も呼びました。しかし、ここでもループは止まりません。救急車の中で、奥様は3分おきに「初めて救急車に乗った……」と新鮮な驚きを口にしていたそうです。
検査に映らないミステリー
病院に到着し、血液検査や脳のCT、MRIなど、あらゆる検査を行いました。
しかし、結果はすべて「異常なし」。
実は、一過性全健忘はこうした一般的な画像検査や血液検査では原因がまったく特定できないという、医学的にも非常にミステリアスな病気なのです。原因不明と言われると、どうしても不安になってしまいますよね。
ですが、どうかご安心を。
この病気の最も不思議な点は、発症から24時間〜48時間ほど経つと、まるで魔法が解けたように過去の記憶もスッと戻り、後遺症もなく完全に回復するというところなのです。
ただし、発症していた数時間の記憶だけは、どうしても思い出せません。
この期間は、脳の「録画ボタン」がそもそも押されていなかったような状態です。記録されたデータ自体が存在しないため、あとから取り出すこともできないのです。
残された謎と、人体の不思議
すべてが元通りになった後、一つだけ不可解な現象が残りました。
記憶がまったく記録されていないはずの奥様が、「あのとき視界が暗くなって不安だったことだけは、なんとなく覚えている」と語ったのです。
なぜ、視界が暗く感じられたのか。
もしかすると、脳内で短期記憶を司る領域と、視覚を処理する領域の間に、私たちのまだ知らない奇妙なネットワークの混線があったのかもしれません。このエピソードを聞くと、人体の仕組みがいかに複雑で、いまだ謎に満ちているかを思い知らされます。
さて、普段の会話ならここで何か気の利いた「オチ」を期待してしまうところですが、今回ばかりはそうはいきません。
ダイナミックで切迫したリアルな体験の前では、オチを作る余裕などあるはずがないからです。ただ、「人体は本当に不思議だ」という圧倒的な事実だけが残りました。
皆さんも、今日という一日を記憶し、当たり前のように明日へ繋げていけることの奇跡を、ほんの少しだけ噛み締めてみてはいかがでしょうか。