​「親日」のウラにある巨大な誤解――イランが憧れる“幻の大日本帝国”


「イランは親日国だ」という話を耳にしたことがある人は多いかもしれません。しかし、彼らが心に描いている「日本」の姿を具体的に知る日本人は、ごくわずかではないでしょうか。現地で出会う親日感情の根底には、私たちが抱く平和国家のイメージとは大きくかけ離れた、いささか強烈で複雑な歴史観が横たわっています。

端的に言えば、イランの人々が愛し、憧れの眼差しを向けているのは、現代の日本というよりも「大日本帝国」の幻影です。

時空がねじれているように思えるかもしれません。なぜ、中東の地で大日本帝国なのでしょうか。その源流は、1905年の日露戦争までさかのぼります。

当時、中東の人々は南下政策を進めるロシア帝国をはじめ、西洋列強の圧倒的な力に圧迫され、深い無力感を抱えていました。「アジア人は白人に支配されるしかないのか」という閉塞感が漂うなか、極東の小国・日本が巨大なロシアを打ち破ったのです。この勝利は、イランをはじめとする中東世界に巨大な衝撃を与えました。「西洋に屈せず、アジア人としての誇りを胸に立ち向かった英雄」として、日本モデルへの熱狂が巻き起こり、イラン自身の立憲革命にも弾みをつけました。

太平洋戦争期には、日本の帝国主義的な膨張に幻滅して距離を置いた国もありましたが、イギリスやソ連の干渉に苦しんでいたイランでは、日本への好意的な記憶が色あせることなく残りました。さらに1970年代、日本が高度経済成長を遂げると、「西洋に媚びずとも近代化は達成できる」という成功例として、日本への信奉は決定的なものとなります。

1979年のイラン・イスラム革命を経て成立した現体制にとっても、大日本帝国は奇妙なほど共感しやすい存在でした。

イランの多数派であるイスラム教シーア派の精神的支柱には、「傲慢な強者に抗い、身を挺して正義を貫く弱者」を尊ぶ思想があります。彼らの視線から見れば、圧倒的な国力差があったアメリカに敢然と挑み、特攻(カミカゼ)として命を捧げた日本の軍人たちは、まさに崇高な「殉教者」の鑑に映るのです。

現代の日本人の多くは、先の戦争を「無謀で悲惨な過ち」として捉えています。しかし、イランの親日派の文脈では、「アジア解放のために大サタン(アメリカ列強)に立ち向かい、尊い犠牲を払って植民地支配を終わらせた聖戦」という筋書きに置き換わって理解されることが少なくありません。敗戦という事実さえも、「力で負けただけで、大義は間違っていなかった」と解釈されることすらあります。

だからこそ、現地の生の声に触れると、強烈なズレに直面します。

澄んだ無邪気な瞳で、「日本はいつアメリカにリベンジを仕掛けるんだ?」と真顔で尋ねられる日本人滞在者は少なくありません。彼らの頭の中では、日本は「平和憲法を持ち、米国の同盟国となった国」ではなく、「牙を隠し、捲土重来の時をじっと待つ孤高の反米国家」という架空戦記のような物語が進行しているのです。

もちろん、情勢に詳しい知識層も存在します。しかし彼らは彼らで、「原爆という苛烈な被害を受けながら、なぜ日本人はアメリカに追従し、あれほど従順になれたのか」という日本人の心理を、底知れぬミステリーとして眺めています。

もうひとつ、現地で日本人を戸惑わせるのが「歴史の長さ」に対する圧倒的な自負です。

数千年のペルシャ文明を誇るイランの人々は、「古い文明を持つ国こそが、一時的に西洋に圧迫されても最後には復活する」と信じています。彼らが好意から「日本の8000年前の文明はどうだった?」と無邪気に水を向けてくるとき、縄文時代にどんぐりを拾っていた暮らしを説明するのは、日本人にとってなかなか冷や汗の出る瞬間です。彼らは決して悪気があって見下しているのではなく、「偉大な日本なのだから、自国と同じくらい高度な古代都市があったはずだ」と純粋に信じ込んでいるからです。

他国が抱く好意やシンパシーは、必ずしも相手の実像を正確に反映しているとは限りません。歴史的なトラウマ、宗教的価値観、そして自国の願望という色眼鏡を通して、都合よく理想化された「都合のいい日本」が消費されている側面があります。

「親日」という心地よい響きの裏側に、いかに過激で、噛み合わない物語が潜んでいるか。相手の抱く歴史観の文脈を解きほぐしてみると、国際理解の難しさと面白さが、同時に浮かび上がってきます。