「迷い主義」で生きていく——組織の宗教化と、考え続ける強さについて
「組織が大きくなると、人はバカになる」
ビジネスの世界では、少し刺激的なこんな言葉を耳にすることがあります。同時に「急成長したいなら、会社は宗教化したほうがいい」という話もよく語られます。
強力な理念を掲げ、同じ方向を向き、ひとつの教義のもとで結束する組織。確かに、強い。迷いがない分、圧倒的なスピードで前進できます。
けれど、立ち止まって考えてみてください。本当にそのやり方だけが正解なのでしょうか。
なぜ、会社は「宗教化」を求めるのか
そもそも、なぜ組織は宗教的な一体感を持ちたがるのでしょう。
理由はシンプルです。そのほうが「まとめやすい」からです。
たとえば、売るべき商品がひとつに決まっている営業会社をイメージしてみてください。「この商品は最高だ」「これを届けることこそが世の中のためになる」。そう心の底から信じ込んでいなければ、自信を持って顧客の前に立つことはできません。
コンビニの店舗運営も同じです。本部から見れば、売上を左右するのは緻密なPOSデータ(販売時点情報管理)の分析かもしれません。しかし現場の店長に対して「数字がすべてだ」と伝えても、人は動きません。「店長、あなたの笑顔でこの店の売上が決まるんですよ!」と伝えたほうが、現場の熱量は一気に跳ね上がります。
野球のように監督がベンチから「ここでバント」と明確にサインを出す組織。言われた側も、疑わずに手足を動かすほうがずっとラクです。信じ切ることは、ある種の救いでもあります。
けれど、その引き換えに失われるものがあります。
それは、「自分で考える」という行為です。
組織が巨大化するとき、何が起きるのか
顔と名前が一致する数十人の小さなチームなら、お互いの呼吸を合わせるのは難しくありません。
ところが、社員が数百人、数千人と増えていくと、創業者の目の届かない場所が必ず生まれます。
そこで大半の組織は、画一的なルールで全体を縛ろうとします。「このマニュアル通りに動け」と。
するとどうなるか。思考停止した金太郎飴のような人材ばかりが育ち、環境の変化に対応できない硬直した組織が出来上がってしまいます。
だからこそ、DMMの亀山敬司氏が選んだのは、まったく別の道でした。
法務や財務といった会社全体の「骨組み」だけは共通でがっちり固める。しかし事業の現場は、50人から100人規模の小さなスタートアップの集合体のように切り分ける。サッカーの選手たちがピッチ上で瞬時に独自の判断を下すように、現場に判断と権限を委ねるのです。
カルチャーもチームごとに違っていい。アパレル系がいれば、ネット系もいて、ヤンキー気質のチームがいたって構わない。
統一された教義で縛るのではなく、独立した現場の寄せ集めとして走る。それがひとつの答えでした。
「迷い主義」という生き方
「亀山さんは何教なんですか?」と尋ねられた彼は、こう即答します。
「迷い主義」。
自らの言葉すら絶対だとは思わない。「俺の言うことも疑え」「今どきそれは古いんじゃないですか、と現場から言ってほしい」。トップが教祖になってしまえば、組織の成長はそこで止まります。
もちろん、ずっと悩み続けていてはビジネスは進みません。右に行くか左に行くか、現実には決断を下さなければならない瞬間が毎日やってきます。
だから、行動としては「とりあえず右へ行く」でいい。
けれど、肝心なのはその先です。「右を選んだ自分が絶対に正しい」と思い込まないこと。「もしかしたら左が正解だったかもしれない」という迷いを、心の片隅にちゃんと残しておくこと。
その迷いがあるからこそ、状況が変わったときに身軽に軌道修正ができます。
考え続けることは、しんどい。けれど——
誰かが決めた教義を信じてついていく生き方は、とても耳触りがよく、安心感に満ちています。
それに比べて、常に自分の頭で考え、疑い、迷い続ける生き方は、正直に言ってひどく面倒で、しんどいものです。
それでも、「自由に考えていい場所」に身を置いていれば、考えたくないときは言われた通りに動くことも選べます。けれど最初から「余計なことは考えるな」と頭を縛られてしまったら、もう逃げ場はありません。
答えの出ない複雑な時代だからこそ、必要なのは盲信ではなく、健全な違和感です。
迷いながら、疑いながら、それでも「とりあえず」一歩を踏み出してみる。
そんなしなやかな姿勢こそが、変わりゆく世界を生き抜くための、もっとも現実的な羅針盤なのかもしれません。