「私たちはなぜ、「推し」や「物語」に人生を動かされてしまうのか?――朝井リョウが語る熱狂の正体」


朝井リョウさんのインタビュー動画について、お話しされていた本質的な面白さや思考の深さを大切にしながら、読みものとして自然にスッと入ってくるトーンに書き直しました。

作家・朝井リョウさんがデビュー15周年を迎えて語ったインタビュー。そこには、新作『イン・ザ・メガチャーチ』の背景にとどまらない、創作や人間観察に対する独自のスタンスが詰まっていました。

「今の空気を、標本のように閉じ込めたかった」――そう語る朝井さんの視点は、どこか昆虫採集をする少年のようでもあり、冷徹な外科医のようでもあります。


デビュー作と新作をつなぐ「標本」という感覚

朝井さんの原点といえば、大学在学中に発表した『桐島、部活やめるってよ』です。田舎の高校を舞台に、校内の微妙な空気感やスクールカースト(教室内の見えない序列関係)をリアルに描き出し、大きな話題を呼びました。

あの作品を書いたきっかけは、実は「忘れそうだったから」だといいます。

高校時代の教室は、ぎゅうぎゅうの寿司詰め状態です。ちょっとした噂や誰かの欠席ひとつで、人間関係がガラリと揺れ動くような独特の狭い世界。けれど大学に入ると、履修も交友関係も一気に自由になり、あの息苦しさは一瞬で消え去ってしまいます。「このままでは、あの特殊な空気を完全に忘れてしまう」――その焦燥感から、記憶が色あせる前に言葉で閉じ込めたのが『桐島』でした。

そして15年が経った今、新作『イン・ザ・メガチャーチ』で書いた動機も、驚くほど同じだったと明かしています。

数ヶ月単位でトレンドの言葉が変わり、昨日の正義が今日の悪になるような、めまぐるしい現代社会。「いま、私たちが確かに吸っているこの空気」を、消えてしまう前に瓶詰めの標本にしておきたかった。その純粋な欲求が、この物語の推進力になっています。


人の感情に「正解」を求めない取材術

朝井作品といえば、登場人物のリアルな心理描写が魅力です。「どうして他人の心の奥がそんなにわかるのか」と不思議に思う読者も多いのではないでしょうか。

ところが、取材についての考え方は意外なほど淡々としています。

ルールや現場の事実関係は徹底して調べますが、当事者に「その時どう思いましたか?」とは絶対に聞かないそうです。感情の核心を聞いてしまうと、それが唯一の「正解」になってしまい、小説としての広がりが狭まってしまうからだといいます。
これは人物造形にも通じています。たとえば女性キャラクターを描くとき、「女性を描こう」とは意識しないのだそうです。
もし「女性とはこういうものだ」と型にはめてしまうと、「こんな服は着ない」「そんな仕草はしない」といったズレが生まれてしまいます。そうではなく、「冬の寒い日に、ひとりの人間として何を思うか」という根本的なレベルにまで焦点をぼかす。すると不思議なことに、読者との違和感は消えていくのだといいます。

性別や肩書きというラベルを一度剥がし、生身の人間として捉え直す。この距離感の取り方に、朝井さんの観察眼の鋭さを感じずにはいられません。


私たちはなぜ、「物語」に熱狂してしまうのか?

新作の大きなテーマとなっているのが、「ファンダム(熱狂的なファン集団)」と「人間の行動力」です。

コロナ禍を経て、私たちの生活はずいぶん変わりました。デリバリーを頼み、リモートで打ち合わせをし、ライブ配信を見る。わざわざ外に出なくても、指先ひとつで日常が完結する時代です。朝井さん自身も「すっかり行動力が落ちてしまった」と苦笑交じりに語っています。

ところが、その正反対の場所があります。それこそが、推し活やファンダムの世界です。

「どうしても現場に行きたい」「あの人が訪れた店に足を運びたい」。世界中が便利さと引き換えに家から出なくなっていく中で、彼らだけは驚くほどの熱量とフットワークで現実を突き進んでいきます。

なぜ、そこまで人は動かされるのでしょうか。

それは、自分の人生を預けられるような強力な「物語」に出会ってしまったからかもしれません。

そしてこの熱狂の構造は、推し活だけに留まりません。政治の選挙運動や、ある種の集団心理にもまったく同じことが言えます。人間が集団になり、ひとつの物語を信じたときに生まれる行動力。それは誰かを力強く救う光になる一方で、時に暴走して他者を傷つける影にもなり得ます。


答えを出さない、という誠実さ

作中では、ファンダムを作る側のプロデューサー、熱狂する大学生、そしてかつて熱狂していた独身女性という、異なる立場の人々が同じ解像度で並べられています。誰かを一方的に断罪したり、手軽な解決策を提示したりすることはしません。

本を閉じたあと、読者の中には「胸がすっきりした」という爽快感ではなく、むしろモヤモヤとした問いが残ります。

「自分を動かしているこの熱量は、本当に自分のものだろうか?」

「信じている物語に、知らず知らずのうちに踊らされていないだろうか?」

答えを安易に差し出すのではなく、読者に重たい問いを手渡すこと。それこそが、朝井リョウという作家が現代の読者に対して払っている、一番の誠実さなのかもしれません。