ヒット作を生み出す人に必要なのは、優れた企画力でも、天性のひらめきでもないとしたら何でしょうか。
出版界の伝説的編集者であり、幻冬舎を率いる見城徹氏。彼が箕輪厚介氏との対談で明かしたのは、スマートなマーケティング論とは真逆の、生々しい人間関係と「生き方の純度」でした。
語られた言葉の核心を、一つの物語を辿るように紐解いていきます。
相手を救う「3枚のカード」
見城氏はかつて、作家の石原慎太郎氏に対して常に「3枚の切り札」を胸に忍ばせていたといいます。
* 1枚目:国民的大スターである弟・石原裕次郎との濃密な血の繋がりを描いた私小説(のちのミリオンセラー『弟』)
* 2枚目:華々しいデビューを飾った作家が、老いていく肉体の悲哀を迎え撃つ記録(エッセイ『老いてこそ人生』)
* 3枚目:かつて激しく批判しながらもその磁場に惹きつけられた「田中角栄」の残酷さと宿命を、一人称で描き切る試み(大ヒット作『天才』)
ここで見逃せないのは、どの企画も単なる「売れそうなネタ」ではない点です。
ビジネスで手札を切るとき、私たちはつい「自分にどんな利益があるか」を考えてしまいがちです。けれど、見城氏の言うキラーカードは違います。「このカードを差し出せば、相手の人生にものすごい化学反応が起きる。相手自身が救われる」――そう確信できるものだけを、相手の懐に差し出すのです。
手札とは、相手への最大の理解そのものでした。
初版50万部の賭けと「自己救済」
その思想が極限の形で結実したのが、郷ひろみ氏の告白本『ダディ』でした。
ある日、ゴルフ場のコースを歩きながら、郷氏から突然「離婚しなければいけないかもしれない」と苦しい胸の内を打ち明けられます。理想の夫婦として世間の羨望を集めていた時代のことです。
そのとき、見城氏が返した言葉は実にシンプルでした。
「まずは書いてみたら。書くことは、自己救済でもあるんだよ」
本にするかどうかは後回しでいい。言葉に落とし込むことで、人は自分の傷を整理し、前に進むことができる。表現の本質は、他ならぬ自分自身を救う行為なのだと見城氏は語ります。
こうして生まれた原稿を世に問うにあたり、仕掛けられたプロモーションは苛烈を極めました。
週刊誌のゴシップや記者会見で消費される前に、本そのもので世間に真実を届ける。そのために取次会社(※出版社と書店の間をつなぐ流通の要)にすらタイトルも内容も伏せ、前代未聞の「初版50万部」を押し通したのです。結果、発売からわずか5日で100万部が完売しました。
無謀に見える賭けを支えていたのは、緻密な計算ではなく、「絶対にこの人の人生を守り切る」という覚悟でした。
では、どうすればそんな規格外の仕事ができるのでしょうか。効率的なマニュアルや、人を惹きつける交渉術があるのでしょうか。
見城氏の答えは、驚くほど冷徹で、そして誠実です。
「ノウハウなんてものはない」
人を動かすのは、耳触りのいい言葉や小手先のテクニックではありません。ルールに守られた無難な生き方ではなく、日々の痛みにぶつかりながら「自分の掟」を貫いてきたか。その生きてきた歳月の集積だけが、言葉の重みとなって相手に届きます。
さらに氏は、ヒットメーカーであり続けるための「三種の神器」を挙げます。
1. 自己検証
2. 自己嫌悪
3. 自己否定
自分の甘さや浅ましさを徹底的に検証すれば、嫌悪が生まれ、最後は自分を否定せざるを得なくなる。
「なんて手痛いプロセスだろう」と感じるかもしれません。けれど見城氏によれば、本当の自己肯定は、地獄のような自己否定を潜り抜けた果てにしか立ち現れないのです。安易な自信ではなく、傷だらけの自己肯定だからこそ、人は他者の痛みに寄り添い、本物の企画を掴み取れるのでしょう。
熱狂するか、さもなくば虚無か
対談の終盤、話題は「なぜそこまで走り続けられるのか」という根本的な問いへと向かいます。
見城氏の口から漏れたのは意外な言葉でした。
「人間は死んだら無だし、世界はただの虚無なんだよ」
年齢を重ねるにつれ、死の足音や生の虚しさはより濃く輪郭を帯びてくる。放っておけば、心は安らかな虚無の底へ沈んでいってしまう。だからこそ、その圧倒的な虚しさをねじ伏せるために、絶え間なく何かに「熱狂」し続けるしかないのだと。
熱狂していなければ、息ができない。
それは成功者の誇らしげな凱歌というより、自らの命を燃やし尽くそうとする者の切実な祈りのようにも響きます。誰かに真似できるような生き方ではないかもしれません。しかし、一人の人間が嘘偽りなく己を貫いた痕跡には、時代を動かすだけの凄まじい熱量が宿るのだと、改めて突きつけられます。