薬局の棚でおなじみの「養命酒」と「ツムラの漢方薬」
もしこの2社が手を組んだと聞いたら、みなさんはどんな光景を思い浮かべるでしょうか?
「日本の伝統薬を支える老舗同士の温かな合流」――そんな前向きなイメージを持つかもしれません。
しかし、その舞台裏で繰り広げられていたのは、マーケットの思惑とシビアな経営課題が入り乱れる緊迫のドラマでした。
第1幕:水面下で動いた「物言う株主」の影
すべての発端は、誰もが知る大正製薬の決断から始まりました。
2024年1月、大正製薬ホールディングス(HD)は創業家主導によるMBO(経営陣や創業家が自社株を買い取り、上場を廃止して非公開化すること)を成立させました。これに伴い、同社は保有していた養命酒製造の全株式(議決権ベースで約24%)を手放すことになります。
売却先となったのは「湯沢」という会社でした。
聞き慣れない名前ですが、ただの投資会社ではありません。背後にいたのは、「物言う株主」として市場を揺るがしてきた村上世彰氏のファミリーです。村上氏の長女・野村絢氏の夫である幸弘氏が資金提供しており、湯沢はその後も市場で株を買い集め、保有比率を30%前後まで引き上げました。
第2幕:難航するTOBと、ツムラの電撃参戦
当時、養命酒製造は長年の課題に直面していました。
会社の稼ぐ力が伸び悩み、資本の効率が悪化していたのです。そこで同社は、米国の名門投資ファンド「KKR」をパートナーに迎え、TOB(株式公開買い付け:あらかじめ価格と期間を決めて、市場の外で広く株を買い集める手法)によって株式を非公開化し、抜本的な立て直しを図ろうとしていました。
ところが、ここに待ったをかけたのが筆頭株主となった「湯沢」です。
「この価格では手放せない。もっと高く売れるはずだ」
交渉は暗礁に乗り上げました。
非公開化の手続きが膠着し、重苦しい空気が漂うなか、名乗りを上げたのがツムラだったのです。
第3幕:68億円で手に入れた「身軽な養命酒」
ツムラが選んだ買収スキームは、実に合理的でした。
まず旧村上ファンド系が養命酒製造の全株式を一度買い取ります。そのうえで、同社が多角化の一環として手がけていた飲食事業や物販事業などをきれいに切り離しました。
ツムラが本当に欲しかったのは、余計な事業ではなく、誰もが知る「薬用養命酒」という盤石のブランドと、その製造・販売網だけだったからです。
いわば、贅肉を削ぎ落として身軽にした状態の養命酒製造を、ツムラは9月1日に68億円で買い取りました。
華麗なディール成立。
ですが、本当の難題はここから始まります。
第4幕:好業績のツムラを縛る「足元の鎖」
ここで、買い手であるツムラの台所事情に目を向けてみましょう。
数字の表面だけを見れば、業績は文句なしの絶好調です。
今年3月期の連結売上高は約1,926億円。直近の4〜6月期決算でも、純利益は前年同期比で約48%増の約64億円と大きく跳ね上がりました。むくみや頭痛向けの医療用漢方製剤が国内で処方を伸ばし、中国で傘下に収めた生薬原料の子会社も業績を力強く押し上げています。
売上は伸びている。利益もしっかり出ている。
それなのに、なぜ市場や経営陣は頭を抱えているのでしょうか?
その原因が、記事でも指摘されているROE(自己資本利益率)の低さです。
ROEとは、車に例えるなら「燃費」のようなもの。株主から預かった資本(元手)をどれだけ効率よく使って利益を生み出したかを示す指標です。記事中では「一般的に30%以上が目安とされる」と触れられていますが、ツムラのROEはわずか8.7%にとどまります。
エンジンは回っているのに、燃費が悪くて車体が重い。
投資家を納得させるためにも、資本効率を引き上げる成長戦略の練り直しは待ったなしでした。
結び:漢方に「特効薬」はあるのか
ツムラの強みは、病院で医師から処方される「医療用漢方」にあります。
しかし、医療用だけに頼る一本足打法には限界がある。そこで、ドラッグストアで一般の消費者が自ら手に取る市販薬市場へと裾野を広げたい――。今回の買収は、まさにその突破口を開くための投資でした。
とはいえ、現実はそう甘くありません。
肝心の薬用養命酒事業自体、近年の物価高が逆風となり、今年3月期の売上は前期比4.3%減の約81億9,800万円と足踏みしています。68億円という巨額の買収費用を払い、それを上回るシナジー(相乗効果)を叩き出すのは、決して容易な道ではないはずです。
漢方薬とは、本来、時間をかけてじっくりと体の巡りを整えていくもの。即効性のある西洋薬とは性質が違います。
皮肉なことに、漢方最大手ツムラが下した今回の決断もまた、低迷する資本効率を一気に解決する「特効薬」にはなりそうにありません。手に入れた老舗ブランドをどう調合し、体質改善につなげていくのか。じっくりと見守る必要がありそうです。