​『自分を捨てる狂気と代償。山田孝之はなぜ「AI」を待ち望むのか』



俳優の頭の中って、一体どうなっているんでしょうか?

先日配信されたNewsPicksの番組「WEEKLY OCHIAI」での、落合陽一さんと山田孝之さんの対談。これを見ると、私たちが想像する「役作り」の次元をはるかに超えた世界が広がっていました。山田さんの語る言葉からは、俳優という職業のストイックすぎる狂気と、どこか人間離れした静かな境地が垣間見えます。


「自分」という水を一度すべて捨てる

山田さんの役作りは、単なる「演技」ではありません。まるで別の魂を宿すような途方もない作業です。新しい役に入る前、彼は自身の42年分の経験や記憶、価値観を一度「全部出す(リセットする)」そうです。

例えるなら、コップの中にある「自分」という水を完全に捨て去り、そこに「役柄」という全く新しい水をなみなみと注ぎ込むような感覚でしょうか。

しかし、そのアプローチは作品によってガラリと変わります。

あの冷徹な『闇金ウシジマくん』を演じた際、彼はあえてウシジマの感情やセリフの背景を一切考えなかったそうです。人間の生々しさを意図的に消し去り、セリフをただの「音」として発する。だからこそ、あの機械的で背筋が凍るような威圧感が生まれたんですね。

一方で『全裸監督』の村西とおる役では、アプローチが真逆になります。台本にはなかった「早口でまくしたてる」という要素を自ら付け加えました。「相手に決して喋る隙を与えない」という、実在の人物の底知れぬエネルギーを表現するためです。
静と動。作品に合わせたアプローチの振り幅には、ただ驚かされるばかりです。


記憶と感情をすり減らす代償

皆さんは、何十人もの全く違う人生を疑似体験し、何度も「大切な人の死」のような激動の瞬間をリアルに味わい続けると、心はどうなると思いますか?

山田さんの場合、その過酷な作業の代償は「感情」と「記憶」に現れました。

これまでに100人以上の人間を生き、作品の中で感情を激しく揺さぶられすぎたため、普段の生活では極力感情を出さずに生きるようになったそうです。オフの日に好んで釣りに行くのも、釣果を競うのではなく「ただ無心に自然環境と向き合えるから」。感情のスイッチを完全に切る時間が、彼にはどうしても必要なのでしょう。
さらに驚くべきは、海馬(記憶や空間学習能力に関わる脳の器官)への影響です。
役の過去を細かく捏造し、膨大なセリフを脳に出し入れし続けた結果、なんと「スマートフォンのカレンダーに書いていない予定は覚えられない」状態になっているのだとか。人間の脳が許容量の限界を超えるとどうなるのかを見ているようで、少しゾッとするエピソードですよね。


AI「山田孝之」に期待するもの

そんな心身を削るような日々を送る彼だからこそ、昨今話題のAI(人工知能)に対する視点も非常にユニークです。

世の多くの俳優が「AIに仕事を奪われるかもしれない」と危惧する中、彼は「早くAI山田孝之を作ってほしい」と熱望しています。自分と瓜二つのAIができれば、純粋に自分が休める。それどころか、生身の人間には危険すぎるスタントや、思いもよらないような新しい表現すら、AIなら可能になるかもしれないからです。

AIを自分を脅かす存在ではなく、表現の幅を広げてくれる「もう一つの体」として歓迎している。これはテクノロジーの進化に対する、とても痛快で合理的な考え方だと感じます。


「人以外」の時間を求めて

番組の終盤、「生まれ変わったら何になりたいか」という問いに対する彼の答えが、すべてを物語っていました。

彼の答えは「水」でした。

雨になり、川を下り、動物や人の体の中も通り抜ける。誰にも縛られず、自由に姿を変える水になりたいと。そして、今後の希望を問われたブラックボードには、静かに「人以外との時間」と書き残しました。

人間のドロドロとした深い感情と、嫌というほど向き合い続ける俳優という職業。だからこそ、人間という枠組みからふっと解放されたいという切実な願いが込められているように感じます。情報をただ消費するだけでなく、一人の表現者の生き様として、深く考えさせられる対談でした。