く受け入れてしまうんですけど、機械生命体とアンドロイドという、命を持たないはずの存在どうしが、目的を失った後も延々と殺し合っている。かなりグロいゲーム体験だなと。
それが“命もないのに、殺し合う”というコピ一につながりました。
―――あの“命もないのに、殺し合う”というコピーは秀逸でしたね。
本山 2Bたちは自動歩兵人形と説明されていたので、ひたすらに人形を破壊したら、プレイヤーが体験しているグロさのようなものが露呈するんじゃないかなと思ったんです。ただ、
- “amazarashi 『アンチノミー』Music Video YOKO TARO Edition”のMVは一本の映画を観たような気分になる力作でした。
本山 個人的には、自分の仕事の中でも大好きな一作です。人形劇の最後、カメラが引くと劇場の観客たちはみんな死んでいて、さらにその劇場はじつは『NieR:Automata』の廃工場の中にある。ヨコオさんの脚本を読んだときは痺れましたね。まさに第4の壁の破壊だな、と。
本山 さすがに1000万本くらい売れる、みた
いに思っていたわけではありませんけど、とんでもない名作になると確信しました。キャラクターデザインもよかったですし。2Bを見たときに、ちゃんと売ろうとしているな、と思いました(笑)。「コスプレしやすいキャラにしてください」って2Bのデザインをお願いしたとうかがってますが、まさに慧眼だな、と。以前、 某週刊マンガ誌の編集者の方にうかがったのですが、コスプレされるかどうかは、キャラクター人気を測る大きなバロメーターになるそうなんです。2Bのコスプレをしていた人は世界中にいるので、キャラクターのアイコニックさも、ヒットに相当貢献していると思います。 あと、『命にふさわしい』は、amazarashiさんのライブで演奏される回数ではトップクラスです。ライブ中に『NieR』の映像も使うので、 そういう意味では『NieR:Automata』の露出は増えているんですよね(笑)。
本山 あまり変わらないですね。ゲームクリ
エイターの方とはよく仕事したりお会いしたことがあるんですが、ヨコオさんはすごく構造的に考える人だなと思います。まず予算があって、そこからボスの数が決まって、ボスの数だけマップが必要になって、みたいに逆算していくんですよね。ヨコオさんの脚本講義なんかでも、いかに苦しみを作って、それをどう救済していくか、みたいにかなり構造的に人を感動させようとしているんですよね。 感動の、普遍的な型みたいなものを自分の引き出しとしていくつも持っていて、それを組み合わせていく作りかたがすごく象徴的だな
と思いました。先日、虎ノ門広告祭というイベントに、ヨコオさんをゲストとしてお招きして、ゲーム広告について話したんですよ。 ヨコオさんは、ゲームにおける広告は、かつてのゲームセンターで誰もプレイしていないときに流れたアトラクトデモ、あれこそが究極のゲーム広告なんだ。80年代当時は、ゲーム画面をそのままテレビに映すと実写と比較されてしまう。だから実写表現がメインだった。 でもゲームが実写に近づくほど、画面自体が饒舌になるので、実写部分は不要になってくる。 つまり、広告クリエイティブが介入する余地は減っていく、ということをおっしゃっていて。 マーケティング領域も構造的に見ているんだなと感じました。
――――そんなヨコオさんにこの場を借りて伝えたいことはありますか?
本山 ヨコオさんには直接お伝えしたんですけど、改めてここで感謝したいことがあります。 以前、amazarashiの武道館公演で“朗読演奏実験空間 新言語秩序”というものをやったので
――そんなヨコオさんにこの場を借りて伝えたいことはありますか?
本山 ヨコオさんには直接お伝えしたんですけど、改めてここで感謝したいことがあります。
以前、amazarashiの武道館公演で“朗読演奏実験空間 新言語秩序”というものをやったのですが、あれは、ヨコオさんの朗読劇がアイデアの元ネタです(笑)。このライブは、公演前にアプリで朗読予定の小説を全篇配信していたんですけど、物語はバッドエンドのような形で終わっていた。でも公演当日は物語が分岐し、異なるエンドへ進んでいく、ということをやったんですよ。
—————“人形達ノ記憶”の最終日の朗読劇(9ページ参照)のような。