「望まれたとき、望まれた場所で何かできればいいよね」というスタンス

SAM こんなことを言うと自分勝手な人に見えてしまうかもしれないけど、小室さんってものすごいソフトで優しいんですよ。僕らが提案したことに「ノー」と言ったことは一度もないんじゃないかな。

――若い人の意見を積極的に取り入れると。

SAM そうかもしれないですね。当時クラブで毎週、僕がイベントをやっていたんですけど、そこにもふらっと遊びに来るんです。するとフロアの端っこの席に座って、若い子たちがどんな音に反応するか、どんなファッションで来ているか、じーっと見てるんです。

 ただ一度お願いというか、言われたことがあるのは、「TRFのメンバーは5人にできないかな」ということ。「人が名前を覚えられる限界って5人くらいだと思うから」と(笑)。結成当時はDJ2人にボーカル1人、ダンサー8人の計11人いた。だから『EZ DO DANCE』のジャケ写は10人写っています。

 ブレイクした後シーブリーズのCMに出たんですけど、他のメンバー数人が競合他社のCMに出てしまったことで、自然とメンバー減になりました(笑)。

――TRFといえば、今や当たり前となった「ダンス&ボーカルグループ」の先駆けですよね。このスタイルはどうやって生まれたのでしょう。

SAM もともと僕の所属していたMEGA-MIXというダンスチームがTRFの母体みたいなもので、僕たちはダンスチームとしてデビューできると思ってたんですよ。

 そうしたら途中で突然YU-KIちゃんが出てきて、「私このチームのボーカルになるんです」と。当時彼女はZOOにいて以前から顔見知りでしたが、僕らはチームのメンバー同士なのに知らされていないことだらけでしたね。

――誰も小室さんの頭の中の「TRF像」の全貌は知らないままだったんですね。

SAM 小室さんって当時からずっと、基本的に何も説明してくれないんです。曲についても事前に希望を聞かれたからドロドロのヒップホップとかアシッドジャズを渡してたのに、完成した曲はバリバリのテクノ。正直どんなことがしたいのかさっぱりわからなかったけど、もしかすると小室さん自身もビジョンが見えていなかったのかもしれません。

SAM 最初の頃は、僕たちのソロパートでも照明を当ててくれませんでした。照明さんに言っても「お前らはどうせバックダンサーだろ」といった感じで聞く耳を持ってもらえず、結局小室さんに言ってもらったんですよね。「SAMたちのソロはギターやドラムのソロと同じだから、ちゃんとピンを当ててくれ」って。

――小室さんの言葉は、SAMさんたちダンサーの本質を理解している感じがしますね。

SAM 小室さんとは本当に苦楽を共にしてきた感覚があります。僕にとっては間違いなく恩師で恩人ですね。

SAM 実はその言葉が出たことはないんですよ。ものすごく強い意思で「TRFは絶対続けるんだ!」というより、「望まれたとき、望まれた場所で何かできればいいよね」というスタンスというか。だからメンバーのみんなも「あえて解散を謳わなくてもいいよね」と。活動したくないときはしなければいいし、新曲が出したくなったら出そうよ、という感じでここまできました。