エロゲ業界は衰退したというより、「ブーム」は起きたけど、「文化(ビジネス)」には出来なかった

簡単に言うと、「世代交代に失敗した」。

エロゲ業界は衰退したというより、「ブーム」は起きたけど、「文化(ビジネス)」には出来なかった。

ここでいう「ブーム」とはまぐれ当たりが出て業界に人が流入してくること。「文化(ビジネス)」とは収益構造が確立し、作り手や客が世代交代して持続していくこと。

蛭田(エルフ)とか剣乃(シーズウェア)とかTADA(アリスソフト)とかの活躍によって市場と認知度を獲得した90年代後半の業界はエロつきならある程度の売上が見込める状況だった。そこに髙橋(Leaf)とかだーまえ(Key)とかぶっさん(ニトロプラス)とかきのこ(TYPE-MOON)といったワナビーだった過去を持つ連中がそれぞれ得意とする世界観にエロを足したゲームを世に送り出してブームが発生した。それによって新規メーカーやユーザーが大量に流入したが、後が続かず一過性で終わった。

エロゲ衰退論の多くは何故ユーザーが離れたかという観点で論じるが俺は逆だと思ってる。ヒット作(ブーム)が新規ユーザーと次代の作り手を呼び込む(つまり世代交代)のであり、ブームが発生している間に次のヒット作が生まれる土壌を作っておく必要があった。蛭田らに髙橋らが続いたように。しかしそうはならなかった。

その要因のひとつに、若いクリエイターがよりローコストで、より好き勝手に作品を発表できて、あわよくば儲かる場が他に出来てしまった、という点が挙げられるだろう。

それが2ちゃん(99年~。電車男、まおゆう)であり、ニコニコ動画(06年~。アイマスP、ボカロ小説)、小説家になろう(04年~。さすおに他)だ。若いクリエイターが作品発表の場をそれらに移した結果、サブカルの最前線(今現在ブームになっている業界)がエロゲから他に移り、新規ユーザーも次代の作り手も流入しなくなってしまった(それに唯一抗ったのがニトロプラスだと思う。ネットで作品を発表していた鋼屋ジンや奈良原一鉄、下倉バイオを発掘して世に送り出している)。

企画/シナリオの話ばかりをしてしまったが、原画や音楽担当も同様だ。90年代後半から00年代前半はエロゲンガーがコミケの壁をはっていたが、pixiv(07年~)やTwitter(06年~)の登場でエロゲンガーは若いクリエイターの憧れではなくなり、サウンドクリエイターもエロゲの同人音楽から東方アレンジやボカロ曲をYoutubeやニコ動で発表する形に活動の場所を移していった。

これらの状況分析から、エロゲの衰退を、安易にスマホやSNSやフリーミアムの登場に結びつける論調には同意できない。

任天堂は未だに据え置き機兼ゲームメーカーだし、集英社は週刊少年ジャンプを発行し続けている。それでいて『あつ森』や『鬼滅の刃』のような最新のヒット作を生むことが出来ている。それは次代を担うクリエイターを発掘・育成し、そのヒットによって新規ユーザーを呼び込むという世代交代ができているからだ。

任天堂や集英社のような巨大メーカーと泡沫のエロゲ業界を比べるなよ、という意見はあるだろうが、ゲーム業界だって漫画業界だって最初は泡沫にすぎなかったし、スマホやSNSやフリーミアムの登場といった時代の荒波にさらされてもいる。しかしビジネスモデルを作り上げて作り手と客が世代交代して業界が持続するようにしたから今があるのだ。ちょっと儲かったからって社長がランボルギーニを痛車にしてるようじゃダメなのである。

結論:エロゲ業界は衰退したのではなく、ブームを文化(ビジネス)に転換させられる商才あるビジネスマンがいなかった。だから世代交代できなかった。以上(よく武内が社長として評価されているが、きのこが死んだら終わりの状況から脱せてない以上ダメだろう。同様に、蛭田も剣乃もだーまえも後進を育てられなかった。この論で評価できるのはでじたろうぐらい)


違和感があったので書いてみる

筆者は当時そのへんのエロゲ会社でライターとして働いていた

引用元が言いたいのはおそらく「あのサブカル感なんでなくなっちゃったの」が正しい

サブカルというワーディングに反感を覚えるかたもおられるだろうが、まあまあ、どうどう

エロゲが衰退したかどうかは結構面倒な話になるので割愛する

あとゲンガーの話してるけどエロゲンガーがあこがれだった時代は存在したのだろうか……

あの当時、なぜエロゲに謎のテキストライターが集まったかというと、

『ライター』という職業を志す者にとって一番稼ぎやすい場所だったからだ

家で稼げる、ダメ人間でも雇ってもらえる、これ大事なことね

また、1作品あたりの予算もコンシューマほどかからないからプロデューサーも適当で

企画さえ通ればあとはテキストライターが好き勝手やることができた

ライターの供給源となる場所はテキストサイトが多分に役目を果たしたはずで、

自分もそのうちの一人だ

90年代後半の暗雲垂れ込めた社会と00年代初頭の失望

それに原始インターネットを混ぜこんで鍋でぐつぐつ煮てでてきたものがあのエロゲ文化だ

社会の空気とカネと「プロデューサー」の雑さ、これがエロゲを生み出していて、

読んでくれる顧客もヒマだった。

ニコニコ動画が出てきてコンテンツは映像的な消費しやすさが意識され

Twitterが出てきてコンテンツのリアルタイム性が要求されるようになった

こんな時代はワナビの書くエロゲは売れない

顧客にフォーカスして売るというまともなビジネスの誕生である

クズライターは放逐され、かつ主婦層のインターネット参戦が目立ってきた頃には単価もクソ落ちてきたので俺もライターをやめた

んだが結局またソーシャルゲームでライター業をしている

最近はエロゲ業界でもソシャゲ業界でも「未経験からライター」が増えている

ワナビですらない小説もろくに読んだことのない連中が、だ。

しかしこれが商業である。

ちゃんと規定の量をサラリーマンライクに生み出すのがこの時代ライターに求められる一番の才能だ。

さて、あのとき、あそこに確かにあった空気は一体どこへ行ってしまったのであろうか。

そして持続可能だったのだろうか?

儲かる場所はすぐ商業化され、ニコニコ動画でも小説家になろうでもnoteでもYouTuberでも「あの空気」は一瞬発生してすぐ消えてしまった。

自分はテキストサイトに最初見て、エロゲライターになり、ニコニコ動画を経てソシャゲ屋になりVTuberのライターもした。

ずっとそれを追いかけている。

熱狂と混沌と雑さと退廃、ダメ人間たちの青春。

いつもそれを夢見ている。