何らかのゲーム企画を立てた時、自由に空を飛ぶ、という気持ち良さを演出するならば、まず落ちる仕組みやペナルティを加えましょう。
ペナルティは空を飛ぶのに何らかの下準備がいるという感じに置き換えても良いです。
空を飛ぶゲームなら気持ちよく空中で操作できるようにしますよね。それはそうですが、けれどもそれと相反することを織り込むことで初めて実感が湧いてきます。
飛ぶゲームだったら落とす。
高速で進むゲームだったら遅くなる条件もいいです。
例えば初代エースコンバットで飛行していると海の上に長い橋がかかっていました。
なぜかその下ってくぐりたくなりますよね。 実際くぐったら気持ち良い。
気持ち良いと感じるのはそこにリスクがあり、クリアした実感があるからです。
橋にぶつかるとアウト。
水面にぶつかってもアウト。
それを上手に切り抜ける遊び。
単純に空しかなくて、地上にぶつかることのないゲームを想定すると、こういった緊張感は生まれません。
そういう意味からは、宇宙空間を舞台にしたフライトものは、大気圏内のものよりもまとめるのが難しいことが分かります。
また、同じ空間ものだって超高度で、ただ敵を打つより地上や起伏を舞台にする方がまとまりやすくなることだってあります。
超能力はその他の何かで空を飛んだりするような動作を気持ちよくするには、ちゃんと対象となる仕草や地形に対する仕草を正しくしていく必要があると私は考えています。
カービーのエアライドにおいては、地形のギャップを踏み切るとマシンが飛びます。
踏切ポイントを探す遊びや、飛べるエアライドマシンと飛べないエアライドマシンの混在などが飛んだ時の気持ちよさをより深めるんですよね。
何らかの仕様を入れると決めた時、それに相反する要素も実行しましょう。 自らの攻撃と敵からの攻撃がセットであるように、リスクとリターンは表裏一体です。
おばあちゃん、おばあちゃんはなんで敵を倒すの?
それは敵を倒してパワーアップするためさ。
なんでパワーアップするの?
もっともっと強い敵を倒せるようになるからさ。
とか言ったらまあ身も蓋もないですけれども、ゲームには一部のストーリー主導型ゲームやパズルゲームを除いてかなり多くの作品に倒すべき敵が出現します。
ゲームをやらない人にとっては端から見て心配になるのではないかなと思うほど敵を倒し倒し倒しまくる。
これ、本当に必要なのでしょうか?
当たり前のようになっていることには理由があるからそうなっています。
しかし、疑問を持つことは良いことかと思いますので、掘り下げてみます。
一部を除く一般的なゲームはストレスをかける。 それを解放することで楽しめます。
障害がある、障害はつまりストレスです。それを排除する。
これは解消がシンプルにすっきりする瞬間です。
解除のご褒美、あるいは経験で強化される。これは成長、先に対する期待もできるし、より高い満足感も出ます。
それによって、さらなる障害を排除しやすくなる。 これは進展。 つまり先に進めるということ。
ストレス→解消→成長→進展。
最初のストレス以外の3つにはゲームとしての楽しみがあります。
それらはストレスが最初にストレスがなければ成り立ちにくいので、やっぱり障害は必要そうですね。
例えばアンダーテールは敵を倒さなくてもクリアはできるようになっていますが、ちゃんとストレスはかかってきます。
むしろ無殺クリアの場合、直接的な排除をすることができなくて、ストレスはさらに増大するかも。
ストレスが解消されるのは格別ですし、そうすることでより良い進展に対する期待もかかります。
こういったストレスをつくるのは直接的な敵やゲームシステムばかりとは限りません。
例えばアドベンチャーゲームで主人公やその友達に危機が訪れ、これはストレス。
それをなんとかして解消したり、先に進めるようにすることはそれなりの楽しみで喜びでもあります。
コストを支払うのもストレスと解消しがいがあることで、溜め込みが楽しくなるという側面もあります。
無限に資材だけが増えて、使い道も何にもない採掘ゲームがあってもしょうがないですよね。
結論としてはゲームとして敵を倒すことはできるのだけど、敵に該当するストレスと解消は必要。
できれば、進展、成長は積極的に取り入れられるゲームデザインにした方が良いですね。
特に敵を倒すゲームなら敵を倒した時や、ミッションクリア時に報酬ご褒美を入れることが不可欠です。
古い作品にもこのスコアぐらいあります。
それでは、さすがに物足りないので、パワーアップやお金、経験値、スキルポイントなど何らかの報酬が入ります。
そういったご褒美がなくてもゲームにはなり得ます。 先に進めること自体がご褒美だとも言えますし。
しかし、それだけでは今時のゲームの動機付けとしては今ひとつ足りないですよね。
ご褒美は何よりゲームを進めるための欲求の源になるので、是非盛り込んでいきたいです。
ジャンルなどにもよりますが、ゲームの骨組みができたら真っ先に考えても良いところです。
お金やポイントなどを含む数値が溜まるようなご褒美はそれを消費するのとワンセットです。
消費して得られるものに全く魅力がなかったら、あるいは適切ではなかったらあんまり良いものにならないでしょう。
数値の見せ方として素材というのもありますよね。
素材を集めて別の何かを作る。
これは儲かっている感情を得られたり、それで作られる何かの必要度が高いことが大事。 特に有効な手立てとは言えます。
他にもコレクションがたまる系のご褒美、プレイヤーキャラクターや装備が得られる系のご褒美などがあります。
関わった数値で交換できるようにするとかは、その企画の狙いどころ次第でしょうか?
ちなみにプレイヤーとしての私の場合、というか感想は、その後ご褒美を収集する遊びというのは楽しくも、面倒くさく感じることもありまして、例えば素材や報酬を集める楽しみが、いつまでもいつまでも集めさせられ続けてるという風に思うと、ちょっと嫌になることもあります。
ただ、それだけ重要な要素ではあるんですよね。例えばスマブラスペシャルにおいてスピリッツをご褒美にせず、最初から全て揃ってる状態だったら 喜びもへったくれもないわけで。
ハマるゲームにご褒美は不可欠。途中でも言いましたが、真っ先に考えて良いところです。
現在の対戦ゲームに飛び込むのはなかなか勇気がいります。 ゲームが複雑すぎてついていけないと感じる人も少なからずいるのでは? 観戦してもルールとか意味が分からないとか。
では、対戦ゲームはシンプルに作れないのでしょうか? 例えば対戦型格闘ゲームにおいて歩行もできず、パンチを1種類だけ繰り出せる。これでは駆け引きのへったくれもありません。 ボタンを連打するだけでつまらないですよね。
そこに歩きを入れる一応間合いという概念ができましたが、まだまだです。
そこでパンチとキックが放てるようになった場合、キックの隙がパンチより大きく、外したら攻撃できるなんて感じにすると少し駆け引きができてきます。
ジャンプができる、ガードができる、投げができる。
こういった仕様がゲームをどんどん奥深くしていきます。
マリオブラザーズを対戦ゲームとして捉えた場合、面白いですが、これでずっと遊び続けるのは難しいところです。
対戦格闘ゲームが出てきた時、少なくともそれまでのアーケードゲームよりやれることがすごく多く奥深いと感じられました。
それまでのアーケードゲームというのは大抵の場合、1ボタンで1アクションです。 しいて言うなら、しゃがみ攻撃やジャンプ攻撃ができるくらい。
特に初期のアーケード対戦格闘ゲームとしては1984年に対戦空手道という作品が出ています。画面は1つ前の空手道ですが、システムは同じようなものですが、なんと20種類以上の技があります。
そして、1987年のストリートファイター、この段階では技を出すのが難しすぎ。
ただ、操作をさせるだけでも精一杯駆け引きを感じるのは少し難しくありました。
楽しかったですけど。
その段階においてもすでに使いこなしはともかく、技は多いわけです。 単純に一つのパンチとかキックを繰り出すだけでは成立できない。
もちろん格闘ゲームの火付け役はストリートファイター2ですが、しっかりした駆け引きが設定され、多くの技に役割が適切に振られると、ものすごく奥深くなるわけです。
では、ゲームは奥深さを求めればいいのかというと。もちろんそれだけではありません。
カジュアルに楽しめることも大事だけど、何百回も遊ぶことに耐えられるものであれば多かれ少なかれ、それに対応できるシステムの深さが必要になってくるのでしょう。
広く深くというのはさじ加減が難しいです。
私の製作の目指すところでもありますが、それでも感じ方は色々あるのでは?
歴史を繰り返してきたジャンルにおいて、さほどの駆け引きを生まないのに、複雑なルールがあるということはたまにあるかもしれません。
製作にもプレーにも慣れてしまうとそれを当然だと思ってしまいがちですが、開発開始に振り返ってシステムやルールを毎回見直すことをお勧めします。
私も毎回見直しを行うため、スマブラのジャンプの仕方などは毎回違いますけどね。
全部違います。
要素が複雑になるのはある程度仕方がないですが、当たり前を当たり前に思わない姿勢は必要だと思います。
パズルゲームと言っても色々ありますが、ジグソーパズルのようなものは駆け引きを持ちません。
どちらかというと、その楽しみは組み上がっていく達成感によるものかなと。
かの有名なテトリスは誰もが知ってるぐらいのゲームでしょう。 とても面白いです。
テトリスはペントミノというパズルゲームを元に開発されています。 ペントミノはいろんな形の12個のピースを四角く綺麗に収めるパズルだけど、ペントミノはチグソーパズルと同じでゲーム性がない。
一方テトリスにはゲーム性がある。
この違いはやはりリスクとリターンがあるからです。 落ち物、パズルのリスクは積み上がっていく。 落ち物を積めば積むほど考える時間が短くなっていきます。
で、そのリスクに対し、綺麗にラインを揃えて消すとリスクが下がり、まとめて消せれば、徐々にリスクは高まる分、より気持ちよくなる。
落下するテトリスの速度が上がっていくという仕様もリスク上昇による刺激に絡んできます。
後の移植作品から出た仕様ですが、テトリスの着地後に回転させたり、ずらしたりすることで、リスクギリギリのところで粘れる仕様もリスクを引きつけるという意味で大事ですね。
対戦にして、ある程度ルールを引けばゲーム性が生まれてきます。
ピースの配置に試行錯誤が必要なので、そのトライ&エラーのルール化も必要になるかもしれませんけどね。
落ち物、パズルは非常にシンプル、かつ直感的にゲーム性を理解できるジャンルです。
単にブロックが消えるというところから企画を始めず、消すことがなぜ面白いのかということをよく考えてみましょう。
以前ご紹介したメビウスを企画した時、メテオを打ち上げるという基礎的なアイデアを考えるに至った時間は5分でした。
落ち物、パズルが苦手なのにそれができたのも、このジャンルのゲーム性がいかに生じるのかを先に理解していたからです。
ゲーム性の原理が分かっていれば、苦手であっても迅速に考えることができると思います。 ここもゲーム性、カテゴリーなどを参考にしてみてください。
とある海外の研究において対戦型FPSでやられた時、相手を倒した時には不安を感じ、相手に倒された時にホッと安心するという結果が出たそうです。
それは普通は逆なのでは?と思いますよね。 でも考えてみれば思い当たる節はあります。ストレスからの開放感があるということなのでしょう。
これは確かにゲームの楽しさと言えます。
まず、ゲームのキャラクターというのは感情移入の対象でない可能性があります。
自分のキャラクターが倒された時、もし感情入りの対象であれば、がっくり来るはずですよね。
でもそうではないらしいです。
次にルールが残念感をかき消す。
ゲーム時間内で継続するにしても、別のゲームで再開するにしてもリスタートが比較的早いのであれば、次に次にと進められるので、あまり残念感を引き延ばさずに済みました。
それと、相手を倒すこと自体がリターンではない件、目的は最終的に勝つこと。 相手を倒して決着がつくような瞬間でない場合、まだ最終目的に達していないのだから油断できません。相手を倒す時には自らも倒される、そんな未来を見ているのかも。
そして敵を倒した方も、倒された方もそれぞれで面白いと思えるのであれば、それは娯楽として最高であること。 個人的には特にここが注目したいポイントです。負ければ悔しいし、気分が悪い。
でも、次もやっちゃう、リトライなどの動機も含め、よく考えておきたいことだと思います。 必ずしも対戦イコール征圧による快感ではないということ。
ロールプレイングゲームなどでは、キャラクターが成長する作品において想定されるマイキャラの強さと、進むにつれて強くなる、敵や障害それぞれの強さをグラフで示すと双方がまっすぐ右肩上がりになっていると思いがちですが、これはやっちゃいけません。
本当は2次曲線と切り上がりになるようなことが多いですが、それも置いておきます。 単純にマイキャラの強さと敵の強さが正比例してるような状態というのは良くないです。
例えば山登りで同じ角度の平坦な坂をただ上がるって辛いですよね。 情景も同じようなものがずっと続くとか、休憩地点も定期的に出てくるだけであるとか。これでは何の喜びも生まれないと思います。
これは作業。
本当の山登りにはありえませんが、実際のバランスは例えばボコボコするのが良いかと思います。 乗り越えなければならない 困難もあるし、少し楽になる平地もある。壁は、いわゆるボスなどで構成されるのが一般的でしょうか。
周りよりもボスが強いというセオリーによって配置するのではなくて、ボスのような困難を置き、その攻略をしっかり考えさせ、うまくクリアできた。 人々にそれなりの報酬を出すという流れに持ち込むのが良いです。
そして平坦なところも用意した方が良いですね。 敵が常時出現し続けるのではなく、何もいない空間をあえて作るとか、儲かる場所を直後に配置するのも有効だと思います。
こういった試みはゲームの探索をより楽しくしていきます。
実際のゲームはもっと複雑で、例えばある程度の自由度を持ってあちこちに進めるようなことも多いと思います。
こういった場合、ちゃんとしたシーソーバランスでゲームを作るのは難しいことだと思います。
マイキャラに合わせて敵を強くするようなシステムを入れてしまうとつまらなくなってしまう。 こういった場合の解決方法も色々考えられるとは思いますが、攻略をうまく残す方向でまとめられると良いですね。
ゲーム中ミスをしてリトライさせる時、そのゲーム性や狙いによっても変わりますが、再開は極力迅速に行えるようにしましょう。
それによりゲームを投げ出さず、再チャレンジしてくれる可能性が増えます。プレイヤーに何の感情も与えない時間をなるべく抑え、演出は短めに絞り、ローディングなども極力短くすると。
リトライにどれだけのペナルティとやり直しが生じるのかも、投げ出すか?否か?の要因の1つですか。
実はそれよりも大きい要素。
再開は迅速に。
これは難しさや困難への許容量というのを増します。 やられたらダメだったと思った。 一瞬だと落ち着いてから次にゲームで操作できるまで、この時間はプレイヤーが急速に冷める時間です。
長く置けばほどどんどん冷めていってしまいます。 冷める前に操作のバトンをプレイヤーに手渡すことができれば、とりあえず操作を始めてくれます。 そして、少し進めれば次のやる気も出てくることでしょう。
ゲームがただ単純に動き出すというだけではやや厳しいです。 プレイヤーが操作できるようになるというのがポイント。
単純にメッセージできるというだけでも良いですが、ゲームからのリアクションが生じる時間を早くするに越したことはありません。
とはいえ、ミスした時、その場復活などが無限にできることで何にも考えなくてもクリアできるっていう風に思わせてもいけません。
これは次回です。
やられた時にはちゃんとやられたと思わせる。 そのためのリスタートは短い時間で派手にストンと入れる。 ゲームのジャンルによりますが、1秒とか数秒で良いと思います。 あんまり長くしない程度に、そしてなるべく早く迅速に操作できるようにすることがおすすめです。
ただし、復活した直後に敵が襲ってくるようなことは避けた方がいいです。 もしも難易度が高く、コントローラーに触れてもいないのに勝手にやられ続けるようになった場合、操作するのも嫌になっちゃうので、重ね重ね、ゲームの狙い、ペナルティの大きさにもよるのですが、理屈を理解した上で適切な仕様を狙えるというようですね。
デモンズソウルやダークソウル系のヒットなどの影響もあり、2010年代後半から現代に至るまで高難易度ゲームは増えています。互いにそれらの影響がさらに増えている印象もあります。
もしくはそれに近い仕組みを持つもの。 つまりミスしたらやり直しになるもの、ローグライクやローグライトなどがジャンルとしても多く見られる印象です。
話が脱線しますが、ローグライクとローグライトについて説明しておきます。
親切な解説です。
ローグライクというのはざっくり言えば、ダンジョンやアイテムがランダム生成され、死んだらやり直しになるもの。 そして、味方と敵のターンが交互に訪れます。 PCゲームの黎明期にローグという作品があり、それに似たものです。 日本では不思議なダンジョンシリーズが有名。
一方ローグライトはその要素を含むものです。
定義は人によって差が出るでしょうけど、アクションゲームなどグループとジャンルが違えば大体ローグライトです。 アクションや演出はキビキビとして気持ちよくやられると、ランダム性のある装備やアイテム、あるいは展開で変わったプレイ体験を提供する高い評価を受けてるタイトルも多いです。
ローグと同じならローグライク。 それ以外の要素を挟むならどのくらいとただローグライトという言葉がある時に生まれる区分なので、全てローグライクと言ってしまって差し使えないと思います。
話を戻します。
このミスしたらやり直しという仕組みはインディ系のゲームではとても合います。 ゲームはどうしても根本的に同じようなことを同じように繰り返して遊ばないと出来ないものだから、リソースをあまり多く作れない。
インディ系のゲームには都合が良いです。 だけど、ちょっと考えてみてほしいです。 お客さんだって、ずっとやり直しになり、ずっと同じものを遊んでいたいというわけではありません。
ゲームを先に進めるには動機が必要です。 主な動機は先を見たいということになりますが、その欲求が出てくるためには先に対する期待を見せなければなりません。
つまり先を見たいと思わせる魅力がゲーム内に必要だということです。 魅力もないのに十分な変化も見られないのに、いつまでも同じようなプレイをしてくれるわけはありません。 難易度などによる配慮も必要だと思います。
想定よりも詰まってる人が多い場合、その人が見てる地点は何かいつまでも同じ景色ってことになるかもしれませんね。
ダークソウルなどは先に進みたいという強い気持ちにより進められます。
人によってはフロムソフトウェア、あるいは宮崎さんへの信頼関係によって成り立っているのでしょうね。
なのにシステムだけ真似て先を見たい期待や動機付けを行っていないと、このタイトルはプレイしていられません。 どのぐらいで先に進ませることを想定できるのか?それはゲームのボリュームや展開の肉付けなどによって決められるべきものなので、他のゲームが高難易度だからと、あるいは慣れている自分がギリギリクリアできる。 できればOKだと決めつけない方がいいですね。
私自身はゲームをよくしますが、こういった作品は正直早めに見切りをつけることも多いです。 同じ時間を費やすなら、より多くの作品に触れて新たな刺激を受けた方が良いですからね。
作品のそれぞれでどこまでの魅力を提供できるのか?は、作り手としてはよく考えた方が良いでしょう。 特に同じ場所で何度も使えてしまった時のことは想定すべきですね。