【クトゥルフ神話】深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ


深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ(しんえん を のぞく とき しんえん も また こちら を のぞいて いる のだ)は、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの格言。


書籍『善悪の彼岸』第146節に所収の一フレーズである。

全文は以下のとおり。

Wer mit Ungeheuern kämpft, mag zusehn, dass er nicht dabei zum Ungeheuer wird.Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein.


これを直訳すると以下のとおりである。

怪物と戦うものはその過程で自らが怪物とならぬよう気をつけよ。深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ。


大意を日本語表現に換える場合、以下のような例が考えられる。

「ミイラ取りがミイラになる」という状況にならないよう注意しろ。

何故かクトゥルフ神話系の話に使われることが多い。
似たような言葉で「俺はお前が俺を見たのを見たぞ」というのもある。

英語では「Cthulhu Mythos」。

クトゥルフ「神話」とはいうが、古代文明(文化)で語り継がれた言い伝え、昔話という訳ではない。20世紀にアメリカ合衆国で考案された世界観の中での架空の神話であり、平たく言えば「非常に壮大な世界観設定」=シェアワールドである。


怪奇・幻想小説の先駆者の一人であるハワード・フィリップス・ラヴクラフトが自身の小説に登場させた事物を友人の作家達とまとめ、お互いの作品で登場した怪物やアイテムを自分の作品にも登場させるという遊びにより、いかにも本当に語り継がれてきた神話のように見せかけたもの。

例としてはロバート・E・ハワードの『英雄コナン』シリーズは、ラヴクラフトと同じ世界観を共有している。


「神話無き新世界(アメリカ)に生まれた新たな神話」としてアメリカ神話とも呼ばれる。

メインとなるのは、外宇宙より古来の地球に飛来した旧支配者と旧神の戦い、それらが後世に与えた影響、邪神の崇拝者の暗躍など。時に「神話」の時代そのものを描いた、より神話らしい作品も登場し、それらも含めて「クトゥルフ神話作品」と認識されるようになった。


クトゥルフ(Cthulhu)は、人間には発音できない音であり、便宜上『クトゥルフ』『クトゥルー』などと表記される。日本では『クトゥルフ』と表記・発音されることが多い(但し、ラブクラフト自身、熱烈なラブクラフティアンに宛てた書簡にて、クトゥルフの明確な発音を述べており、それによると「舌の先をピッタリと口蓋に押し付けて、不完全な2つの音節『Clhu-Lhu』を唸るように、吠えるように、咳き込むように言えば良いでしょう」と記されている。

この書簡から、東京創元社が出版したラブクラフト全集では、ダーレス神話と明確に違う事を示す為、上記の音節から最も妥当と思われる発音・クルウルウで表記し、国内外のラブクラフティアンもクルウルウと呼称している)。

中にはこの神話を真実の出来事だとして調査するファンもいるというからその影響力は相当なものといえる。


執筆する上で共通の公式設定というものは無く、シェアワールドと違い他作品と矛盾が発生しても問題無く「クトゥルフ神話とはラヴクラフトの創作である」という前提で書いても構わない。

そもそもこのシリーズは、後述の通りラヴクラフトと交流があった作家同士で「ぼくのかんがえたじゃしん」を交換し合って自作に登場させるという「お遊び」から始まったものであり、作家同士が設定資料をシェアしていた訳ではない。

ラヴクラフトの著作に限ってみても、作品毎に設定が変わっていることもある。例えば狂気山脈という地名は、南極にあったり、ドリームランドに出現したりする。


コズミックホラー(宇宙的恐怖)
ラヴクラフトの提示した世界観。「宇宙は無慈悲であり、人間中心の地球的な考えは通用しない」というコンセプトのもと、「矮小な人類が自身の常識が通じない強大な外宇宙存在に相対し、生命的な脅威、価値観を破壊される精神的な脅威に襲われる恐怖」を描く。


冒涜的な暗黒の神話
アメリカ建国の大本ともなった主流宗教であるキリスト教においては、ルーツであるユダヤ教の旧約聖書に基づいた以下の世界観が信じられてきた。

世界とは全知全能の崇高なる唯一神が創造した完璧で美しいものである。(天地創造)
人間は唯一神が自身に似せて作った存在であり、世界のあらゆる生物・あらゆる事象を神に代わって管理する役目を与えられた「万物の霊長」である。
原罪によって人間が楽園を追放された(失楽園)後も神は人間を見守っており、信仰を忘れず隣人愛や正義に基づいて正しく生きれば人間は死後に神の国へ招かれ、永遠の命と安寧を授かる。
クトゥルフ神話はこうした価値観に全力で唾を吐く。

クトゥルフ神話では「神が作るはずのないもの(各種の醜く強大な邪神や神話生物、地球外生命体、オーパーツ)が存在」し、そうしたもの達に人類が翻弄・嘲弄され、更には「人類の誕生にも外宇宙存在の関与があったことを示す証拠」まで登場する。

つまりこれらは「唯一神の存在の否定」であり、「『万物の霊長たる人類』の否定」であり、「死後の幸福という救いの否定」にも繋がる。そのためクトゥルフ神話の世界における「真実」は、触れた人間の「信じていた世界観を冒涜・破壊」し、「正気を失わせる」のである。


基本原則
宇宙は無慈悲である
宇宙、次元、時空、あらゆる物質は、誰かにとって都合よく出来てはいない。

人間が神と定義して信じる現象は実在しない上、微生物のような生き物が人間に知覚されず、人間の戯れや無自覚によって殺されることも理解できずに生きているのと同じように、人間もまた宇宙から見れば取るに足らない矮小な存在の一つでしかない。


かつて地球を支配した存在の一部を垣間見た人は、それらを旧支配者と呼ぶ。

それらの力を求める人間は、外法の魔術を求め、時に神として崇拝している。旧支配者同士も敵対することは珍しくなく、それらを崇拝する人間も争うことがある。太古の人類は彼ら同士の争いや闘争に巻き込まれ、大きな被害を被っていた。

属性など世界観を大きく隔てるほどの違いが現れるので、クトゥルフ神話を理解しようとする際、その話題はどのような世界観に基づいたものであるのか注意されたい。

なぜラヴクラフトの想定した以外の世界観があるかというと、ラヴクラフト自身および、ダーレスがラヴクラフトの世界観に縛られることなく、作家ごとの独自のよりクリエイティブな作品が書かれることを望んだため。この姿勢に反発し、無責任だと批判した作家もいた。

このような経緯から、ダーレスが関わる以前の作品群を『原神話』、ダーレスの設定が色濃く反映された作品群は『新神話』と区別するファンも一定数存在し、更にその中で「新神話は認めない」派閥も生まれてしまった。


はるか昔、「宇宙の善の意思」を体現する「旧神」と呼ばれる神々が居た。

後に彼らから「宇宙の悪の意思」を体現する神々が生み出された(=クトゥルフ神話の神々)。

宇宙の悪の意思たる神々は旧神の元を離れると、外宇宙から飛来して古代の地球を支配した(旧支配者の名はここから来ている)。

旧支配者同士も仲違いが多かった(今日においても続いている)が、ある時結束して旧神に反逆を試みた。


結果として敗れた旧支配者はあるものは地球の奥深くへ、一部は遠い宇宙へと封印されたが、その封印も完璧なものではなく、完全な復活と支配権の確立を望む彼らは現代にあっても時折姿を現し、闇の世界には彼らを信仰する者たちが依然として残っている。


宇宙の悪の意思たる旧支配者は、基本的に人間にとって善となる存在ではなく、協力的態度を示したとしても駒として利用するためだと解釈したほうが良い。しかし、「人智を超える」利益が得られることに望みを賭け、手の内に入ろうとするものは現代的な思想を持つもの(科学者や医師)でも後を絶たない。


また数柱の神々には召喚法が知られているが、旧支配者との接触は極めて危険で、状況によほど望まれぬ限り、まず死亡(文字通り「取って食われる」)・変死するか、肉体的・精神的に破滅的な症状を呈するか、完全に乗っ取られて利用されるかのいずれかである。

さらに、出現時には感受性の強い人間が集団で悪夢にうなされるようになるなどの被害が報告されている。


神々の戦い
「大地の神々」と呼ばれる地球で誕生した力の弱い神々は、大きな宇宙の周期によって、旧支配者達が休眠期に入ったのを見計らい、その封印を強くした。

低次の知性体である人間にとっては長い期間旧支配者達は活動が抑えられ、太古の神々のことを多くの人間は忘れ去って文明が繁栄した。


科学が発達した今日、低次の知性体であったはずの人間が物事の関連性に気付き、宇宙の真実のほんの一端に辿り着いて発狂してしまうことがある。

また、魔術を連綿と受け継ぐ魔術師や、旧支配者を時に力の源として、時に神聖な神々として崇める宗教結社なども社会の影に今も存在している。


上記から転じて
異界の存在としか思えないものたちの存在を示唆し、証明してしまう痕跡がこの世界のそこかしこに見つけることが出来てしまう。


例えば大海原の海底隆起、例えばエジプトに残された秘蹟、中国奥地の伝承や未開の地で歴史に葬られた宗教儀式。狂気の沙汰としか思えぬ行い、儀式、血なまぐさい邪教なども遠い僻地などではなく、都市の生活圏内にも蠢いている。


微粒子の世界、宇宙の研究も可能になった人類はそれまで「見ることが出来なかったおかげ」で平穏を得られていた現状を、自ら破壊しようとしている。人間のそのような姿をメッセンジャーは嘲り、大量破壊兵器の誕生を促進させた。


超高度な文明、科学力を持った異星の種族も活動し、時には彼らの都合の良いように人類の社会に影響を与えている。その違和感に気付いてしまう賢く哀れな人間は、通常では到底あり得ぬ奇妙で悲惨な末路を迎える。


異界からの脅威に立ち向かおうとするものもいるが、基本的にその場しのぎである。勇気ある人間達は神々の対立関係をうまく利用して自分たちに協力させることもあるが、協力者も人間に必ずしも好意を持っているわけではなく「大地の神々」でさえ、共通の敵を持つ人類をも利用しなければ自分たちが危ういという打算的な考えを持つ。