【藤田晋】株式会社サイバーエージェントのトップである藤田晋が社長兼CEOを務めるFC町田ゼルビアはなぜ青森山田高を全国有数のサッカー強豪校に育てた黒田剛監督を選んだのか?


 J2優勝シャーレを自分で手にした写真を、X(旧ツイッター)の背景画面に貼りつけている。

「こんなこと初めてしましたよ。見返してみても、これまでのなかで自分が一番うれしそうにしているんです。ああ、こんな表情になるんだなって」

 クールで知られる著名な経営者は写真のなかで顔をくしゃくしゃにして笑っていた。

 株式会社サイバーエージェントのトップである藤田晋が社長兼CEOを務めるFC町田ゼルビアはクラブ史上初めてJ1昇格とJ2優勝を決めた。昨シーズンは15位に終わったチーム。競馬になぞらえて言えば、「大穴」が独走で逃げ切ったわけだ。

「J2は本当に紙一重。予算に差があってもJ1クラブの若手がレンタルでやってきて、それもモチベーション高くガッツあるプレーをしてきてチームに差がつかない。“魔境”を抜け出せたことが何よりですね」

 2018年に経営権を取得してから5シーズン目。苦しんできた分だけ喜びの味もひとしおであった。

 快進撃の起点は、1年前にさかのぼる。藤田自ら陣頭指揮をとるべく、ゼルビアの社長に12月1日付で就任した。

(サイバーエージェントが)毎年、広告費という名の実質的な赤字補填をしてきて、“何とかしろ”と僕が言うのは他人任せだし、それは無責任。経営陣を一新することも考えましたが、いや、自分でやる、と。そもそもこの規模の支出をしているなら、これくらいは稼がなきゃいけない、これくらいのパフォーマンスは出さなきゃいけないというスケール感、スピード感が経営の現場、サッカーの現場に伝わっていなかったので、'22年シーズンが終わった後にパッと決断したんです」

 潤沢な資金を活かして大物外国人選手を獲得するのではないかとも囁かれたが、土台をつくって勝つチームにすることが先決だった。青森山田高を全国有数のサッカー強豪校に育てた黒田剛監督に目を留めた。

「またどこかのJクラブでやっていた監督を連れてきたところで、(他クラブとの)競争力は上がらない。そんなときに黒田監督が候補に挙がってきたので即決しました。優秀なマネージャーというのは結果を出している人。実績を見たら、それはもう明らかじゃないですか。(高校の監督が)Jで成功している前例がないといっても、別にいくつもサンプルがあるわけでもないので」

 藤田はもとより勝負師だ。サイバーエージェントの事業を大きくした経営者は麻雀もプロ顔負けの腕前であり、立ち上げたMリーグも成功させている。勝負師の勘として、1年目に全精力を注ぐことを公言する。

「黒田監督も1年目で結果が出ないと、高校サッカーの監督はJで通用しないという評価になりかねない。自分(に対する評価)だってそうです。どの選手をスカウトするかに口は出しません。僕としては予算を増やして勝負する。最初に黒田監督とフットボールダイレクターの原(靖)さんと話をして、こういうふうにやっていこうと3人できちんと意思統一しました」

 開幕前、19人の新戦力を取り込んで大幅にチームの入れ替えを図った。そのうえブラジル人FWのエリキを“アディショナル予算”で獲得。'19年に横浜F・マリノスのJ1制覇に貢献した実績を買い、強化部から相談を受けるとすぐにGOサインを出している。これこそが必要としたスケール感、スピード感。エリキはチームトップの18得点を叩き出し、首位快走の立役者となる。

 藤田には苦い経験がある。'06年に東京ヴェルディの経営に参画したものの、筆頭株主ではなかったことでイニシアチブを取れずわずか2年で撤退している。

「負けるとみんな誰かのせいにしたがるし、足並みがそろいづらかった。そのときの経験もあって(トップには)言うことを聞かせる存在が必要だと思い、だから僕がわざわざ社長に就いた。黒田監督がリーダーシップを取りやすいようにし、僕も絶対的に支持する。そうすることで足並みを乱すような隙を外に与えませんでした」

 揺るがない組織と揺るがないチームが合致すると、とてつもないパワーを発揮するものだ。開幕戦こそ引き分けたが、その後6連勝をマーク。勝負に徹した堅守速攻スタイルを引っさげ、第10節(4月16日)以降は首位を一度も譲っていない。

「チームに足りなかったのが勝者のメンタリティー。最後まであきらめずに走るとかあと一歩足を出すとか、そういうところで差がつく。ビジネスもそうで、98%まで差はあまりつきませんが、残りの2%で圧倒的な差になる。最後の2%の頑張りを引き出していたのが監督のマネジメントでした。

 毎試合、ここだけは絶対に負けられないと選手たちに言うわけです。手を替え品を替え、あるいは言葉を変えて頑張らせ続ける。これは経営者も同じで今月が勝負、この四半期が勝負って言い続ける。組織コンディションって山の天気のように変わりやすい。そのなかで高いモチベーションを保っていくというのは簡単じゃない。黒田監督は語彙が豊富なうえに分かりやすく選手に伝えていて、いつも感心して見ていました」

 危機に立たされたこともあった。エースのエリキが8月19日の清水エスパルス戦で左ひざ前十字靭帯断裂の大ケガを負い、かつ2点のリードを守れずに逆転負けを喫した。これをきっかけにガタガタと崩れてもおかしくはない。だがチームは次節のモンテディオ山形戦で5-0の快勝。たくましさを感じ取るゲームにもなった。

 藤田は賭けに勝った。社長就任1年目で公約どおりJ2優勝を果たすことができた。

 楽天グループを率い、J1初制覇を果たしたヴィッセル神戸の三木谷浩史会長からかつて「サッカークラブにだけは手を出さないほうがいい」とアドバイスを受けたことがある。サッカー好きもあって結局は手を出すことになったが、三木谷の言った意味は理解できた。

 '19年には「FC町田トウキョウ」に名称を変更しようとしたものの、サポーターの猛反発にあって取り下げている。名称変更は経営権取得に際しての契約条項であり、世界にアピールしていくための策としてクラブにも相談したうえで進めていただけに、猛バッシングは身にこたえた。

「あのときは途方に暮れましたね(笑)。わざわざ多額のお金を出して嫌われる必要もないので、どうして買ってしまったんだろう、と。でも、ふてくされても仕方がないって吹っ切れましたね。

 試合は全部、見ています。一度負けたら3日くらい引きずるし、次も負けるんじゃないかって思ってしまう。逆に勝てばJ1間違いないだろうって強気になっちゃう。株主から“お前の遊びに金を使うな”って文句を言われると困るから大きな声では言えないですけど、やっぱり楽しいですよ」

 11月18日、JR町田駅前で優勝パレードが盛大に行われ、約8000人のファン、サポーターが集まった。バスに乗り込んだ藤田にも「ありがとう!」の感謝の声が届けられた。批判を一身に受けた4年前からは想像できなかったことだ。

 町田は学生時代に過ごした場所でもあり、どこか因縁めいたものを感じてしまう。

あのころの自分はくすぶっていました。でも麻雀や競馬をやっていたから、Mリーグつくったり、馬主になったり……。何となく立ち返っているようにも感じます」

 彼は噛み締めるようにして、そう言った。

「このクラブが強くなれば、町田市民にも誇りを持ってもらえると思うんです。日本中に、いずれは世界にその名を轟かせていきたい。そのためにもまずはJ1定着を目指す。いきなり上位に入っていけるレベルのチームにしていきたいですね」

 魔境を抜け出した先の盛況へ。むしろここからが勝負師の本領になる。