結論ありきの組織にとって批判は無用

地域の集会に通い、勉強を続け、洗礼も受けた。日常生活に大きな支障は起きなかったが、宗教色のあるイベントには関与できなくなってしまった。

例えば、よく知られるキリスト教の宗派と異なり、エホバは十字架を崇拝しない。教会での結婚式に参加できず、あえて遅刻して披露宴のみ出席していた。子どものころからかわいがってくれた祖母の仏式の葬式にも参加しなかったことは、とても苦しい経験だったという。

また、弁護士としてのキャリアにも影響した。

司法修習開始からまもなく、政治家を輩出する法律事務所に内定し、将来の弁護士像を夢見ていた。内定の時期と並行して地域の集会に本格的に参加するようになり、政治的活動への関与をやめなければエホバの証人になれないことを知った。エホバの証人になるのか(好きになった人を選ぶのか)、内定を優先するのか(自分のキャリアを選ぶのか)という板挟みに大きく悩んだ。

その後、エホバの証人になることを優先すると決め、独立して弁護士業務を開始したものの、集会で知り合った幹部信者から「離婚業務は神様であるエホバに喜ばれない」と言われ、業務経験が大きく限られるようになった。

「自らの意思でエホバの証人になると決め、多くの方にご迷惑をおかけしたことは申し訳ないと思い続けているものの、後悔はしていません。輸血拒否についても、自分自身のこととしては受け入れていました。しかし、子どものための輸血を拒否できるかは自信を持てず、子どもをつくらないと決めてエホバの証人になりました」

「このように中途半端な部分を残していたので、本来は、エホバの証人になるべきではなかったのかもしれません。入信して数年経過し、教会側の弁護士として輸血拒否をするための弁護活動をする場面が訪れる可能性を現実のものとして感じるようになりました」

エホバの証人は、良く言えば強固な信念がある。悪く言えば全く融通が効かない。親たちにとって、エホバの証人の教えの全てが正しいということで結論は決まっており、仮に本音が違っていたとしても、それを話し合うことはできない。だから、いま報道などで批判されようが、エホバの証人の組織全体にとっては痛くも痒くもないでしょう」

「エホバの証人の教義それ自体、子どもの意思を尊重することを勧めているため、子どもがエホバの証人の信仰に違和感を持っているなら、それを尊重することは、何ら、教えにも反していないような気がしています」