「ADHDだということがわかっているならそれなりの努力して社会に適合しろ」ということではないです。
「自分の特性を知り受け入れることで生きやすくなる方法を見つけられるならそっちの方がいいよね。他人と同じようなことが自分に出来るとは限らないし!(逆も然り)」ということです。
いい話にも防御のための一文を添えないといけないのが、Twitterの嫌なところではある
「私の場合は」「〜という意味ではないです」などの文でシチュエーションや解釈範囲を狭くしておかないと、わずかに空いた穴から、斜め読みしたクソリプが殺到してくる
Twitterは城塞構築型のディフェンスゲームだった・・・?
例えばさっきのADHDの話だと「ADHDの人間はみんなこうしろって主張してるんですか!!」という過激派がなだれ込んでくるので、その扉を締めてる。父親褒めるだけでも大変である
Twitterには蛮族が住んでいて、斧を振り上げたまま、それを振り下ろす先を探してワード検索し続けている幻覚を見ることはある。いませんよね、そんなものは・・・
外にまで出てTwitterとは青空の無駄使いではないだろうか