雇用の「メンバーシップ型」と「ジョブ型」の組み合わせとは?

  金融が支える構造の破綻

 持ち株会社の日本郵政の下、ゆうちょ・かんぽ・日本郵便は民営化がスタートして以降、別々の会社である。正規雇用に限れば四社全体で二一万五四一二人のうち、約九割を占める一九万二八八九人が日本郵便で働く(非正規雇用労働者については後述)。自社の働き手は少ない金融二社(ゆうちょ、かんぽ)は営業の多くを日本郵便に委託し、業務委託料を払う。日本郵便は、そうして金融二社から入る年間で約一兆円もの業務委託料によって全国に約二万四〇〇〇局のいわゆる郵便ネットワークを維持してきた。金融二社のほうは、この郵便局網を通じて全国に営業を展開できるのである。二〇一八年に議員立法によって、金融二社からの委託料の一部(二一年度はかんぽから五六一億、ゆうちょ二三七四億の合わせて二九三五億円を予定)は独立行政法人「郵便貯金簡易生命保険管理・郵便局ネットワーク支援機構」にまず拠出され、それから日本郵便に交付されるという形になったが、名前を変えて置き換えただけだ。

そんな持ちつ持たれつが「かんぽ不正」によって破綻しようとしている。ゆうちょにおいても投資信託販売で不適正営業が発覚した。金融二社からの業務委託料も「支援機構」への拠出金もこれから先細りしていくだろう。需要が飽和状態にある金融業で無理強いに利潤を稼ぎ、全国の郵便局網をそれで維持しようとするのに無理があるので、これは利潤原理でまわる資本主義そのものの矛盾である。公共財としての郵便ユニバーサルサービスは、ほんらい利潤原理とは切れたところで確立されなくてはならない。

  現場は人手不足

 郵政民営化は、日本郵政に金融二社の株式を売却させることで前者と後者の関係を切り、ユニバーサルサービスを崩壊させていく方向を持つ。ところが「かんぽ不正」を奇貨として、将来の株式完全売却を待たずユニバーサルサービスに斧を振るおうというのが今回の人員削減案である。報道は正規雇用にしか触れていないが、日本郵便にはほぼ同数、約二〇万人の非正規雇用労働者がいる。リストラでまず狙われるのは非正規雇用労働者だ。二〇一〇年に宅配便統合に失敗して大赤字を出したときも、正規雇用の一時金年間四・四ヶ月が三・〇ヶ月に削減される一方、非正規雇用は職そのものを奪われた。たとえば六五歳をもって線が引かれて、二〇一一年九月末には一万三六九四人が雇い止めに遭った。

 皮肉なことに、この「六五歳定年」がいま会社の首を絞めている。現場は人手が足りなくて、六五歳を過ぎた労働者に働き続けてくれとこっそり頭を下げている状態なのである。今年一月に六五歳になった私のところにも去年暮れ、かつて在職した局から声がかかったくらいだ。すなわち人員削減など受け入れられるような職場実態ではない。

  経労委報告をめぐって

時計をすこし巻き戻す。一月二一日といえば新型コロナウイルス禍もまだ他人事のように思っていた頃だが、この日、今年の「経営労働政策特別委員会報告」を経団連が公表した。経営者たちがこうしたいと望んでいる労働社会の見取り図である。そこにおいては雇用の「メンバーシップ型」と「ジョブ型」の組み合わせといったようなことが、ジョブ型を拡げていくという方向で強く打ち出されている。

メンバーシップ型雇用というのは、従来の正規雇用がそうだというのである。郵便の労働現場では総合職や地域基幹職がそれにあたる。査定によってサジ加減されながらも年々定期昇給し、よほどのことがないかぎり定年まで長期勤続する。

ではジョブ型雇用とは? 高度の専門技能を持ち、就く職務(ジョブ)に応じてそれなりの高報酬を得る労働者を指すようだ。技術革新のスピードが上がっているから、次々生まれてくる新しい職務に長期勤続の労働者がすぐ対応するのは難しくなってきた。ならば、そうした専門技能をすでに身に付けている人材を企業の外から獲ってきたほうがいい。新しい職務がまた生まれたなら、それに応じた人材に換えればいいのだから、雇用は長期(無期)ではなく有期雇用のほうが適している。こうした人材の流動化にとっては、長期勤続の労働者が企業の真ん中に居座っていては邪魔になる・・・。これがジョブ型雇用ということが近年盛んに言われ出した理由である。

  「新時代の『日本的経営』」その後

じつは四半世紀前にも今日と似たような議論はされていた。一九九五年、当時の日経連が発表した「新時代の『日本的経営』」における雇用の三区分である。そこで労働者を三つのグループに区分してみせたことは有名だ。すなわち、

 長期蓄積能力活用型グループ

 高度専門能力活用型グループ

 雇用柔軟型グループ

である。

 このうち①の長期蓄積能力活用型グループが今日使われている言葉で言えばメンバーシップ型であり、②の高度専門能力活用型グループがジョブ型だ。

 ②が打ち出されたということで、このままでは技術革新に対応できなくなるという問題意識を日本の経営者たちが当時から持っていたことがわかる。ところが、以降二五年、この②が充分活用されてきたとは言えないのではないか。周りを見渡しても、②のようなタイプの働き手って、これまでのところそう見当たらないでしょう。いまNHK総合で土曜の午後六時台に放送中のドラマ『雲霧仁左衛門3』(池波正太郎原作、中井貴一主演)では、声色を使って誰にでもなりすませる特殊技能の持ち主が、これまで雲霧一党とは別に動いていたのにいきなり小頭に抜擢される。一党の生え抜きたちも誰もそれを不満としない。これなどは②がうまく活用されるケースだが、時代劇の中の話だ。

むしろ「新時代の『日本的経営』」の下で進められてきたのは③の雇用柔軟型グループの拡大である。これは他のどの企業よりも郵便の労働現場を見ればよくわかる。低賃金の非正規雇用労働者がどんどん増やされた。日本の労働社会全体でも、いまや約四割がそうだ。

つまり②の活用は怠る一方で③を収奪的に搾取してきた。濱口桂一郎という学者はそのあたりを「長期蓄積能力活用型を縮小して雇用柔軟型を増やすというだけでは批判を浴びると考えたため、その間に実態の不明確な高度専門能力活用型というカテゴリーをこしらえただけだったといわれてもしかたがない」(濱口『若者と労働』二〇一三年)といささか辛辣に評している。

その結果、何が起きたか? 

 日本の経営者は搾取によって儲け、内部留保は膨らんだけれども、それと裏腹に日本経済そのものは凋落したのである。一九九五年、世界の売上高ベスト五〇に日本企業は二四社が入っていた。現在、株式時価総額で世界の五〇位以内にいる日本企業はトヨタ一社だけである。売上高と株式時価とでは指標が違うので単純に比較できないにしても落ち目なのは明らかであろう。孤軍奮闘のトヨタにして、電気自動車の開発に立ち遅れたと言われている。②を活用できないできた日本型経営に祟られたのである。去年の春闘でトヨタの社長が「組合、会社とも、生きるか死ぬかの状況がわかっていない」と両者を一喝したのはただの脅しではない。危機感に根差している。メンバーシップ型が廃棄ないしは縮小され、ジョブ型が拡大していくのは避けられない。

  もうひとつのジョブ型を

 ところで、③の雇用柔軟型はメンバーシップから排除されているからジョブ型に括られるのであろうか。経営側がジョブ型拡大を言うのには、②をもっと活用するだけでなく、③をこれからも安く使い捨てようという思惑も見え隠れしている。だが、雇用柔軟型(低賃金の非正規雇用)はジョブ型労働者ではない。職務を基準にして賃金が決められているわけではないからだ。そうではなくて正規雇用という「身分」ではないことを理由に賃金が低くされているのである。だから、非正規からの登用が主体である郵政の一般職も、非正規だったときに押しつけられた低賃金をひきずっている間はジョブ型とは言えない。一般職は住居手当が剥奪されるなど、いったんは付与されたかに見えたメンバーシップ性も薄められている。

 ここに、「新時代の『日本的経営』」が打ち出した高度専門能力活用型とはまた別のジョブ型の世界を作り出していくことが今日の労働運動に求められているのではないだろうか。それは正規雇用ではないという「身分」を理由とした低い賃金ではなくて、就いている仕事に応じた賃金を求めるということだ。この方向を追求したい。