資本主義とは「一生懸命働いた人にはそれなりの見返りがある」ようにデザインされている経済

資本主義とは「一生懸命働いた人にはそれなりの見返りがある」ようにデザインされている経済を指します。

これは経済学では「自己愛」と呼ばれます。つまり自分がかわいいから、自分が良い暮らしをしたいから、頑張るというわけです。

みんながそのような利己的な動機から動くと、社会全体としての釣り合いが取れなくなるのでは?という懸念は、ずっと昔から存在しました。経済学とは、それと向き合う学問なのです。

みんなが利己的に行動することでバランスを欠く社会が出現しそうになる際、①それを統制・制御する、②放置し成り行きに任せる、という二つの価値観があります。前者が計画経済、後者が市場経済。

①は居心地が良いです。でも経済全体の「出力」という点では弱々しい経済になってしまいます。その理由は、キョーレツなインセンティブ(動機付け)が無いから。

②はハイパワーな経済を生む可能性がありますが、同時に不公平でギスギスした社会を招くリスクがあります。

みんなが利己的な考えから個人の利潤の最大化を求め、勝手に行動した場合……ハチャメチャになりそうなのですが、実は自然に均衡が取れるケースが多いです。それを「神の見えざる手」なんていう風に呼ぶ場合があります。つまり市場経済は概ね作動するということ。

資本主義は、この「市場」というものによって駆動されているわけです。

「市場」では人々が自発的に交換を行います。たとえば紙幣を野菜と交換する商取引は自発的交換です。この場合、野菜を売る人も、野菜を買い求める人も、それぞれ「そうしたい!」と願うから交換するわけで、強制されているわけではありません。

この「交換」という行為が、社会全体としてより多くの価値を生む、ひとつの原動力です。

でも値段が折り合わないなら「その野菜は高いから、買いたくない!」という立場もあっていいわけで、その場合は取引が成立しません。このように「市場」には「適正価格」というものがあり、それが価格シグナルを発するわけです。

価格機構(pricing mechanism)は、「この商品が売れているから、もっと仕入れよう!」という風に次のアクションの誘因となります。それが生産を刺激するわけです。そして「売れ筋」商品を言い当てた市場参加者はおカネを儲ける……つまり所得分配も市場が面倒をみてしまうわけです。

①の計画経済では、何を、どれだけ作り、それを誰に、幾らで売るか?ということを全部政府が決めます。これは効率が良いようで、実はとても効率が悪いです。だから文化大革命時代の中国では激しい貧困が起こりました。

ある意味、現在の日本も「終身雇用制」の名の下、サラリーマンの賃金は「横並び」となっています。これは経済学的に言えば「価格シグナルが出にくい」状況に他なりません。貢献している社員のお給料が上がらず、上の人ばかりぬくぬくやっている……それは価格シグナルを放棄したことの結末です。

「市場」は、万能ではありません。
しかし今の日本のように「弱々しい成長しか出ない」という状況に直面したら、インセンティブの在り方や、価格シグナルの点検など、キホンに立ち返って日本という社会のマシンをチェックアップする必要があるでしょうね。