コカインの生産・流通・消費のルートが極めて非人道的な"不幸の連鎖"によって成り立っている

コカインの原料はコカという植物の葉で、紀元前3000年頃には、南米大陸北西部に栄えた古代インカ帝国の人々が、高山特有の薄い空気に順応するためコカの葉を噛んでいたといいます。

長らく日常的に、あるいは宗教的儀式の際に主に中南米で広く使われていたコカですが、16世紀にペルーを侵略したスペイン軍は、先住民を銀山で強制労働させるためのツールとして利用したといわれています(第2次世界大戦中、旧日本軍が覚醒剤を使用したのと似たような使い方です)。

時は流れて1850年代、ドイツの化学者がコカの葉から初めてコカインを抽出することに成功します。1880年代に入ると医療(主に精神医療)の現場でも活用され、有名なオーストリアの精神分析学者ジークムント・フロイトもコカインを"魔法の物質"と称して傾倒。

今でいう向精神薬として、「大量に摂取しなければ死ぬことはないから、正しく知って、正しく使いましょう」と、コカインの使用を強く推奨するようになります(同時期に書かれた小説『シャーロック・ホームズ』シリーズにも、コカインがたびたび登場します)。

アメリカではハリウッドの有名女優などもこの"新しい強壮剤"の宣伝に一役買い、コカインは広く普及。しかし、次第に過剰摂取による中毒死の続出が問題視され、1922年、ついにアメリカでコカインが違法薬物として正式に禁止されるに至りました。

以来、米社会では「黒人が使う違法薬物」と位置づけられていたコカインですが、約半世紀の時を経て"リバイバル"が起こります。60年代末からロックミュージックと結びついて"カウンターカルチャー"としての薬物(主にマリファナやLSDなど)が広がっていたところに、ベトナム戦争でヘロイン中毒となった兵士が大量に帰還。

売人を含めた薬物市場が活性化し、コカインが主に白人富裕層の間でブーム化しました。80年代に入ると供給量が増えて販売価格も下がり、貧しい人々にも広がって深刻な社会問題となっていきます。

折しも、1970年代後半から80年代にかけてアメリカはディスコブーム。コカインの"効能"とディスコ文化は非常に親和性が高く、若者の間で爆発的に広がったのです。

70年代以降のコカインブームを供給面で支えたのは、コロンビアの「メデジン・カルテル」などの巨大麻薬組織でした。米政府やコロンビア政府はこうした組織の撲滅に力を注ぎ、2000年前後を境にコカインの生産量をいったん抑え込むことに成功。

ところが、2010年代に入るとコカインの供給量は"V字回復期"に入り、コカの作付面積は2010年からの8年間で約4倍に拡大しています。

コロンビアではメデジン・カルテルやカリ・カルテルなどの大型組織がなくなっても、細分化した各組織が活発に活動しているのですが、その背景には深刻かつ解決困難な貧困問題が存在します。

特に、2014年末から続く石油価格下落により、近年のコロンビア経済は危機的な状態にあります。そのため、野菜などがまともに売れない多くの貧しい農家が、一度は離れたコカ栽培に復帰。

さらに、国家財政が破綻した隣国ベネズエラからの多くの移民が、国境沿いのコカ畑でコロンビアの麻薬カルテルのために働いているのです。

大した収入にもならず、また違法なコカイン生産の一端を担っていることを認識しながらも、背に腹は代えられない貧しい人たちが、半ば強制労働によってコカの葉を栽培。

密売人もカルテルに脅されつつ販路を広げ、世界中の"末端の消費者"に届く――こうした現実を俯瞰(ふかん)してみると、コカインの生産・流通・消費のルートが極めて非人道的な"不幸の連鎖"によって成り立っていることが理解できると思います。

先進国では"セレブドラッグ"といわれるコカインに手を出すことは、その搾取構造に加担することでもあるのです。